2020年度の説教要約 (新しい順)
罪人を救うために
テモテへの手紙一 1章12節~17節ここには、使徒パウロの主なる神へのあふれるばかりの感謝が書き留められています。元のギリシア語では、「感謝します、……わたしたちの主キリスト・イエスに」と言って始まり、「唯一の神に、誉れと栄光が……」と…
約束の救い主
マルコによる福音書 6章30節~44節主イエスの五千人養いの御言葉に耳を傾けます。一つには、主イエスは、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れまれました。「飼い主がいない羊のような」とは、この群衆だけでなく、私たち人…
神の御前に豊かな人生
ルカによる福音書 12章13節~21節豊かに生きるということは、誰にとっても大切なことでしょう。信仰に生きる者であっても、貧しさの中で食べ物に事欠く思いをするよりは、少しでも豊かな生活をしたいと思うものです。しかし、その豊かさは経済的…
心配してはならない
ルカによる福音書 12章8節~12節ペトロは、弟子たちを代表して、主イエスは「神からのメシア」であると告白しました。ところが、十字架につけられる前、主イエスが捕らえられて大祭司の館に連れて行かれたとき、「この人もあのイエスという男と…
恐れてはならない
ルカによる福音書 12章1節~7節「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である」。パン種とはパンを膨らませる酵母のことで、ファリサイ派の人々の中にある不幸、災いがパン種にたとえられています。少量のパン種が小麦粉に混…
神の言葉を殺さないために
ルカによる福音書 11章45節~54節時おり皆さんに申し上げることに、信仰と信念は違うものだということがあります。神様のこと、信仰のことを学んで確信を持つことはとても大切なことです。ところが、その自分の到達したところで固定化してしまい…
内側もお造りになった神
ルカによる福音書 11章37節~44節ファリサイ派の人々に対するたいへん厳しい批判の言葉が書き留められています。けれども、決して主イエスは彼らを拒絶しておられるのではありません。彼らは神の民の一員であり、それゆえ、主イエスは彼らと食卓…
澄んだ目で
ルカによる福音書 11章33節~36節主イエスはしばしば、ともし火をたとえに用いて教えられました。ただし、世の光とされているキリスト者のことであったり(マタイ5:15)、神の真理のことであったり(ルカ8:16)、指し示す事柄は少しずつ違ってい…
幸いな人生
ルカによる福音書 11章24節~32節ルカ福音書11章は、聖霊に導かれる信仰生活について教えています。主イエスは、悪霊の頭ベルゼブルの力によって悪霊を追い出しているという批判の声に答えて、神の権威によって悪霊を追い出しておられるのだとお…
平和のきずなで結ばれて
エフェソの信徒への手紙 4章1節~6節一年の歩みの締めくくりの時期が近づいています。通常ならば、伝道的な集会を行い、クリスマスの活動について相談するのですが、現状では例年通りのことは難しいでしょう。礼拝を中心にして、互いに励まして祈り…
とこしえの生命~使徒信条35~
コロサイの信徒への手紙 3章1節~17節人はなぜ「永遠の命」を求めるのでしょうか。もちろん、死を恐れて、死から逃れたくて、永遠の命を求めるのかもしれません。しかし、私たちの人生には苦しみや悲しみがつきまといます。そのことを思うならば、永…
身体のよみがえり~使徒信条34~
コリントの信徒への手紙一 15章42節~58節「罪の赦し」に続いて、「身体のよみがえり、とこしえの生命を信ず」と告白して、使徒信条は結ばれます。聖書において、罪と死は一つの事柄です。罪があるゆえに死もあるからです。天地を創造し、私たち人間をも…
罪の赦し~使徒信条33~
マタイによる福音書 18章21節~35節「罪の赦し」は、使徒パウロが「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました」(エフェソ1:7)と語るとおり、主イエス・キリストの十字架の贖いの御業によって実現しました。その「罪…
聖徒の交わり~使徒信条32~
ローマの信徒への手紙 12章1節~8節「聖徒の交わり」という言葉に、私たちはうろたえてしまうのかもしれません。自分は「聖徒」と呼ばれるのにふさわしくないと思うからです。確かに私たちは罪の赦しが必要な罪人にほかなりません。それにもかかわ…
使徒的な教会~使徒信条31~
マタイによる福音書 28章16節~20節「使徒的」とは、あまり聞かない言葉かもしれません。使徒信条と同様に大切な古代信条であるニカイア・コンスタンティノポリス信条において、「唯一の、聖なる、公同の、使徒的教会を信ず」と告白されています。…
聖なる教会~使徒信条30~
コリントの信徒への手紙一 1章1節~3節使徒信条は、「聖なる公同の教会……を信ず」と告白します。今日は、「聖なる」とある部分です。「聖」、「聖い」とはどういうことでしょうか。人格的に清廉潔白で「清い」ことは、もちろん尊ばれるべきことです。…
公同の教会~使徒信条29~
マタイによる福音書 16章16節~19節使徒信条は、「聖なる公同の教会……を信ず」と告白します。「公同の」は、余り一般的には使われない言葉です。「公私」という言葉があって、「私」が社会の部分としての個々人を指すのに対して、「公」は社会の全体…
神の子とする霊~使徒信条28~
ローマの信徒への手紙 8章14節~17節聖霊は、「まじわりのきずな」として働いてくださるお方です。きずなとは、一般的には人と人との結びつきであり、結び合わせるための紐や綱のようなものを指すこともあります。接着剤のようなものです。聖霊は、…
教会を信ず~使徒信条27~
マタイによる福音書 18章15節~20節使徒信条は、「われは聖霊を信ず」のあと、「聖なる公同の教会」と続きます。「信ず」と締めくくられますから、「教会を信ず」ということです。しかし、教会は神様ではありませんから、信仰の対象ではありません…
われは聖霊を信ず~使徒信条26~
ヨハネによる福音書 14章15節~21節使徒信条の学びを再開します。第三項は「われは聖霊を信ず」と告白します。主イエスは、聖霊は「風」のようであるとおっしゃいました(ヨハネ3:8)。風が目に見えず、どこから来てどこに行くのか分からないように…
聖霊の降臨
使徒言行録 2章1節~13節ペンテコステは、旧約の過ぎ越しの祭りから五十日目のお祭りです。一つには、小麦や果物の収穫を主なる神に感謝してお祝いされました。そして、もう一つ、モーセがシナイ山に登り、主なる神から律法を与えられた…
聖霊によって生きる
ルカによる福音書 11章14節~23節主イエスは神の国の福音を宣べ伝えておられました。それは、御言葉を告げて神の真理を伝えるだけでなく、病気の癒やしや悪霊を追い出すことなど、不思議な御業をともなうものでした。くすしき御業を行うことによ…
聖霊を与えてくださる
ルカによる福音書 11章5節~13節祈ることはキリスト者にとって呼吸のようなものであり、祈ることを抜きにした信仰生活はありません。けれども、どう祈ればよいのか分からず、祈ることが難しく感じられることがあります。それは、神の御前に自分…
しつように祈り求めよ
ルカによる福音書 11章5節~13節主イエスは弟子たちに一つのたとえを語られました。旅行中の友だちが来たと言って、真夜中に友だちが訪ねてくるというたとえです。旅行しているのは友だちの友だちです。旅行している友だちを迎えた友だちが訪ね…
わたしもあなたを罪に定めない
ヨハネによる福音書 7章53節~8章11節この個所は、わたしが初めて聖書のみ言葉に触れたところです。中学2年生の時でした。「ルーテルアワー」というラジオ番組を聞いていますと、この個所の話でした。だんだんと引き込まれ、最後は感動に包まれた記…
祈りを教えてください
ルカによる福音書 11章1節~4節古くより「信じることは祈ることである」と言われて、祈ることが大切にされて参りました。神を信じていることが私たちの生活のどこに現れるのか、それはごく具体的に祈りの姿に現れます。また、肉体の命が呼吸に…
平和があるように
ヨハネによる福音書 20章19節~23節十字架につけられ、死んで葬られて三日目の朝、主イエス・キリストは復活されました。この復活は、主イエス・キリストだけのものではありません。主イエス・キリストの復活は、初穂としての復活です。主イエスは…
十字架を背負うお方
ルカによる福音書 23章26節~31節主イエスは、自分が打ち付けられる十字架を背負わされ、見せしめのために町中を練り歩かされて、処刑場まで連れて行かれました。繰り返し鞭打たれて、主イエスの体からは体力が奪われていたでしょう。そのため、…
沈黙する神の御子
ルカによる福音書 23章1節~12節騒がしく訴えるユダヤ人、繰り返し問いかけるピラトやヘロデの姿に対して、沈黙しておられる主イエスのお姿が対照的で、際立っています。ユダヤの指導者たちはピラトの前で騒々しく主イエスを訴えます。ピラトは…
忍耐による勝利
ルカによる福音書 21章7節~19節「忍耐」という言葉から私たちが思い浮かべるのは我慢するということでしょう。そして、「したいけれどもしない、できない」という消極的な姿をイメージするかもしれません。けれども、ここで教えられている忍耐…
何を見ているのか
ルカによる福音書 21章5節~19節「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることはない日が来る」。主イエスは、豪華で立派なエルサレム神殿に目を奪われている人びとに目を留めて、神殿が崩され、破壊さ…
わたしの神よ、わたしの神よ
詩編 22編1節~32節詩編22編の御言葉に耳を傾けます。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)と叫んで息を引き取られた主イエス・キリストの十字架の御苦しみに思いを向けましょう。 この詩人は…
最後の審判~使徒信条25~
コリントの信徒への手紙二 5章1節~10節使徒信条は、「生ける者と死ねる者とをさばきたまわん」と告白します。主イエス・キリストがやがて最後の審判のために来られると言うのです。 私たちが、最後の審判ということで抱く気持ちは、多くの場合、恐れ…
かしこより来たりて~使徒信条24~
ヨハネの黙示録 1章1節~8節キリスト教会は、その初めから「主イエスよ、来たりませ」(黙示録22:20)と祈り続けてきました。天に上げられた主イエス・キリストは再び来られるお方であると、聖書が約束しているからです。しかし、主イエスが…
三日目に~使徒信条23~
コリントの信徒への手紙一 15章1節~11節「三日目に」は、はたしてどれほど重要性があるのかと思われるような、たいへん小さな言葉です。けれども、簡潔かつ要約的な使徒信条においても省かれていません。使徒パウロは、「聖書に書いてあるとおり三日目…
神の右に座し~使徒信条22~
ローマの信徒への手紙 8章31節~39節「全能の父なる神の右に座したまえり」。神は物質的なお方ではなく、右も左もないお方です。しかし、詩編に「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう」(110:1)とあり、神のしもべ…
天にのぼり~使徒信条21~
使徒言行録 1章3節~11節よみがえられた主イエス・キリストは、40日にわたって弟子たちと共に過ごされた後、弟子たちを離れて天へと上げられました。この昇天日は木曜日であり、記憶されることが比較的少ないのですが、上げられた主イエ…
死人のうちよりよみがえり~使徒信条20~
コリントの信徒への手紙一 15章12節~22節救い主イエス・キリストは三日目に死人のうちからよみがえられました。このキリストの復活を信じることがキリスト教信仰の中心にあります。しかし、復活を信じることほど、私たちにとって困難な信仰告白はほかに…
平和のきずなで結ばれて
エフェソの信徒への手紙 4章1節~6節新しい一年を迎えました。教会は主にある兄弟姉妹の共同体です。主に養われ導かれる群れとしての成熟、また、霊による一致を祈り求めて、「平和のきずなで結ばれて」を今年の標語とすることにいたしました。 「…
幸いな人生を生きる
詩編 1編1節~6節新年を迎えて、詩編1編に耳を傾けましょう。1編は詩編の最初の詩であり、詩編全体の導入、また挨拶のような詩だと申し上げることができます。聖書は神さまから私たちへのメッセージですから、神さまからの挨拶の…