日曜朝の礼拝「何を見ているのか」

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何を見ているのか

日付
説教
望月信牧師
ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」
そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」(5~9節)ルカによる福音書 21章5節~19節

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 「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることはない日が来る」。主イエスは、豪華で立派なエルサレム神殿に目を奪われている人びとに目を留めて、神殿が崩され、破壊される日が来るとおっしゃいました。この言葉は、神殿を重んじていたユダヤ人にとって、聞き捨てならない衝撃的な言葉でした。弟子たちが「そのことはいつ起こるのですか」と尋ねた、マルコ福音書には「ひそかに尋ねた」とあり(マルコ13:3)、弟子たちにとっても人前でおおっぴらに話すことができない種類のことだと思われたのです。

 目を奪われるとは心を奪われることにほかなりません。そこには地上のことどもへの熱心があります。もちろん、地上のすべてが神の被造物であり、神の愛と熱心が向けられています。その意味では良いものです。けれども、天上のものを追い求める熱心を失ってしまうならば、地上のことどもを愛する私たちの気持ちは簡単に罪へと堕落するでしょう。地上のことどもを絶対視し、神としてしまうことが起こるのです。この場合、生きた信仰が見失われることが起こるでしょう。事実、神殿を商売のために利用することが起こっていたのであり、主イエスは神殿で商売する者たちを追い払われました。地上のことどもに目を奪われるとき、真実に見るべきものを見ることができない愚かさに陥ってしまうのです。

 このエルサレム神殿はやがてローマ帝国によって破壊されます。そのローマ帝国も、永遠に続くと言われましたが、今や遠い昔です。現代に目を向けても、わたしの子どもの頃は世界が西側諸国と東側諸国に分かれていましたが、すでに過ぎ去りました。国家や人間の権力、人間が築き上げたものは、時が来ればあっという間に変わり、崩れ去ります。

 主イエス・キリストは恵み深いお方です。弟子たちを憐れみ、こう諭しておられます。「あの神殿ではない。あなたがたが仰ぎ見るべき神殿は、あなたがたの目の前に立っているこのわたしである」。主イエスは、神殿について、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(ヨハネ2:19)とおっしゃいました。ヨハネ福音書は、「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである」(同2:21)と説明しています。主イエスは御自身を指し示します。それも目に見える主イエスではなく、十字架と復活の主イエス・キリストです。私たちの贖いを成し遂げて御父の右に座しておられるキリストをこそ、しっかり見つめるべきなのです。

 終わりの時代には、偽キリストが現れ、戦争が起こり、地震が起こり、飢饉が起こります。主イエスは、それらは起こるに決まっているが世の終わりではないとおっしゃって、一般的に世の終わりのしるしと言われることどもを否定されました。地震や飢饉、病気があるかもしれません。けれども、それらによって不安に陥り、慌てるのではありません。主イエスはおっしゃいました。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(ルカ21:33)。神の御言葉は決して滅びないのであり、生けるまことの神の御言葉を聞いて、礼拝をささげるところに、十字架と復活のイエス・キリストに結ばれて生きる命、とこしえの命があるからです。

 地上を信仰者として歩む中で、思いもしなかったような困難があり、災いがあるかもしれません。今、実際に私たちは、そのようなことに直面しています。けれども、恐れと不安に呑み込まれるのではありません。この地上から愛が消え去るように思えるかもしれません。人に心優しく親切に配慮することが困難になるかもしれません。けれども、私たちにはすでに神の愛が与えられ、とこしえの希望が与えられています。「互いに愛し合いなさい」と教えられています。それゆえ、私たちは、互いを受け入れ合い、互いに愛し合う愛に留まって、歩み続けるのです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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