日曜朝の礼拝「沈黙する神の御子」

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沈黙する神の御子

日付
説教
望月信牧師
そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」そこで、ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」とお答えになった。ピラトは祭司長たちと群衆に、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言った。しかし彼らは、「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張った。(1~5節)ルカによる福音書 23章1節~12節

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 騒がしく訴えるユダヤ人、繰り返し問いかけるピラトやヘロデの姿に対して、沈黙しておられる主イエスのお姿が対照的で、際立っています。ユダヤの指導者たちはピラトの前で騒々しく主イエスを訴えます。ピラトは主イエスを取り調べて問いかけますが、主イエスはひとことお答えになっただけです。ヘロデの前に連れて行かれても、主イエスは何もお答えになりません。面白くないので、ヘロデは兵士たちと一緒に主イエスをあざけり侮辱して、ピラトのもとに送り返しました。私たちであるならば、身の潔白を主張して、弁明するでしょう。けれども、主イエスは御自分の無実を主張することなく、沈黙されました。沈黙を貫かれました。

 真実には、この沈黙によって、逆に主イエスは問いかけておられます。主イエスは、ひとこと、「それは、あなたが言っていることです」とおっしゃいました。これは、逆に問いかけておられる言葉です。それは本当にあなたの意見なのか、あなたはユダヤ人の訴えを鵜呑みにすることでよいのかと問いかける。そうして、ピラトから「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」という言葉を引き出されました。不思議な仕方ですが、主イエスは、ピラトの口を通して真理を明らかにされたのです。このあと、ピラトは彼自身の言葉を裏切ってユダヤ人の訴えを受け入れ、主イエスを死刑に処すことを決めました。こうして、真実にはピラトが裁かれています。ピラトこそが神の御前に裁かれています。

 主イエスの沈黙は、「苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった」(イザヤ53:7)とあるように、私たちの罪ととがを引き受けるためです。しかし、同時に問いかけておられます。律法学者やファリサイ派の人々が女性を連れて来て、姦淫の現場で捕まえた女性だと言って訴えたとき、主イエスはかがみ込み、指で地面に何かを書いて沈黙されました。繰り返し問いかけられて、主イエスはついに答えられました。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(ヨハネ8:7)。そのときのように、ピラトの前でも、主イエスは沈黙の内に問いかけておられたのではないでしょうか。

 レント(受難節)の中、この主イエス・キリストの御前にへりくだり、静まりたいと願います。それは、沈黙の内に問いかける神の御子の御声に耳を澄まさなければならないからです。そうしてこそ、私たちは神の御前に自らを振り返り、神の御前に悔い改め、立ち帰る者とされます。

 ピラトは、主イエスを裁く立場に立って、幸いなことに、主イエスの御前に立つ者とされました。それは、本当ならば幸いなことです。ピラトは、どんな仕方であれ、主イエスの前に立たせられ、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と告白することへと導かれたのです。けれども、彼は、ユダヤ人の訴えに流されて、自らの言葉を裏切りました。私たちも、主イエスの御前に立ち、イエスさまこそまことの主であり、救い主であられると告白します。けれども、日ごとの歩みの中で、周りに流されることが起こっていないでしょうか。あるいは、人の罪を暴き立てて訴える傲慢な罪に陥ってはいないでしょうか。人の悪口を言い立てて、人の名誉をけがし、人をおとしめることをしてはいないでしょうか。

 主イエスは、沈黙の内に苦しみを引き受けて、十字架につけられました。それは、周りに流されてしまう私たちの罪、人の罪を暴き立て、悪口を言ってしまう罪、そのような罪のすべてを背負ってくださることにほかなりません。そうして、沈黙の内に私たちの罪の赦しの道を切り開いてくださいました。ここに、まことの神の御子、まことの救い主がおられます。この沈黙している主イエスの御声に耳を澄ませて聞くところに、私たちの信仰と悔い改めの道があり、新しい命に生きる道があります。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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