日曜朝の礼拝「わたしの神よ、わたしの神よ」

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わたしの神よ、わたしの神よ

日付
説教
望月信牧師
わたしの神よ、わたしの神よ
なぜわたしをお見捨てになるのか。
なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず
呻きも言葉も聞いてくださらないのか。
わたしの神よ
昼は、呼び求めても答えてくださらない。
夜も、黙ることをお許しにならない。

だがあなたは、聖所にいまし
イスラエルの賛美を受ける方。
わたしたちの先祖はあなたに依り頼み
依り頼んで、救われて来た。
助けを求めてあなたに叫び、救い出され
あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。(1~6節)詩編 22編1節~32節

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 詩編22編の御言葉に耳を傾けます。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)と叫んで息を引き取られた主イエス・キリストの十字架の御苦しみに思いを向けましょう。

 この詩人は、自分が神に見捨てられていると考えています。それは、彼自身が神から離れ、何か大きな罪を犯して裁きを受けているというのではありません。詩人は「なぜわたしをお見捨てになるのか」と叫ぶのであって、神に見捨てられる理由が分からないと考えています。詩人が神を呼び求めても、神の側から交わりを断ち切っておられるように思われる。この詩人は昼も夜も神に対して叫びますが、まるでうめきも嘆きも何も聞いておられないかのように、神は沈黙しておられる。

 こうして、この詩の主題は神の沈黙であり、私たちの人生の不条理でもあります。信仰者も突然の災難に襲われることがあり、「いったいなぜ」と祈ります。しかし、答えが得られない、神は沈黙しておられる。信仰者もそういうことを経験するのであり、それを乗り越えなければなりません。乗り越えなければ、信仰者として人生を生き抜くことはできません。ですから、この詩は、神の沈黙を乗り越えて人生を生き抜くためにどうあるべきかを教えていると、申し上げることができるでしょう。

 その時に決定的なことが、主イエスご自身が神の沈黙と立ち向かってくださったということです。「いったいなぜ」。この問いに立ち向かう。それは私たちだけではありません。神の御子である主イエスご自身がこの問いに立ち向かってくださいました。それゆえに、もはや神の沈黙さえ信仰者にとって乗り越えられないものではない。この詩から学ぶ、もっとも大切なことがそこにあります。実に、「いったいなぜ」と叫ぶ私たちと共に主イエス・キリストがおられます。そのことを心に留めることが、今、この詩を読み、味わう者の幸いです。そして、神が黙して答えてくださらない、その苦しみをご存じのお方が神の右に座して私たちのために執り成してくださいます。そのキリストによって遣わされた聖霊が私たちの内に住み、私たちの言葉にならないうめきさえも聞き取って、御父に届けてくださいます。私たちは、この主イエス・キリストに信頼して、神の沈黙を乗り越えることができます。神がたとえ答えてくださらないとしても、それは神が私たちの味方であられないということではありません。沈黙と立ち向かわれ、死んでけれども復活されたキリストが与えられています。それゆえに平安であることができます。私たちはただ十字架のイエス・キリストに目を注いで、ひたすらよりすがるのでよい。

 「柔よく剛を制す」という言葉があります。私たちに求められる信仰は、嘆くことも弱音を吐くこともない信仰ではありません。主イエスご自身、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と嘆いて叫ばれました。けれども、嘆いて主なる神を忘れ、神から離れてしまうのではありません。私たちに求められる信仰はしなやかな信仰であって、嘆いて叫びながらも決して主なる神から離れず、神を信頼することに立ち続ける信仰です。私たちは、たとえ恐れと不安に襲われたとしても、主なる神をほめたたえることをやめません。突然の災いに遭っても、神に訴えて祈ることをやめません。そして、たとえ神が沈黙しておられたとしても、信頼して主なる神に依り頼むことをやめません。

 やがて主なる神がすべてを明らかにしてくださる日、苦しみの意味をお示しくださる日が来ることを待ち望みます。苦しめられ、けれども、それは自分が練り清められることにほかならなかった、そう告白することができる日が来ることを求めて、神を神とあがめて歩みます。そして、そのことは決してむなしく終わらない。それが主なる神の約束です。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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