神の御前に豊かな人生
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- 望月信牧師
それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」(16~21節)ルカによる福音書 12章13節~21節
説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。
鈴蘭台教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。
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豊かに生きるということは、誰にとっても大切なことでしょう。信仰に生きる者であっても、貧しさの中で食べ物に事欠く思いをするよりは、少しでも豊かな生活をしたいと思うものです。しかし、その豊かさは経済的な豊かさです。それに対して、今日の箇所では、もう一つ別の豊かさ、「神の前に豊か」と言われる豊かさが示されています。
きっかけは、「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください」という、群衆の一人の発言でした。それに対して、主イエスは、ご自身の権威と力を自分のために利用しようとする彼の態度をしりぞけ、「どんなどん欲にも注意を払い、用心しなさい」と言って彼の内にあるどん欲を指摘し、ある金持ちのたとえを話されました。
その金持ちは、畑が豊作で、大きい倉を建てて穀物や財産をしまい込もうとします。しかし、実際のところ、この金持ちのどこが問題なのでしょうか。彼が盗みや不正を働いたというのではありません。もっと大きい倉を建てるとは豊かな収穫をしっかり管理するということであり、何も非難されるべきことではありません。この男は決して愚かではなく、むしろしっかり者である。休息することも必要ですから、ひと休みして蓄えを楽しむことも決して非難されるべきことではありません。ここで、主イエスは財産を否定しておられるのではなく、財産を楽しむことを禁じておられるのでもありません。豊かさは神の祝福でもありますから、財産そのものが問題なのではありません。どん欲に注意を払い、用心しなければならない。主イエスは、そのことを指摘しておられるのです。
そのヒントは、「わたし」という言葉が繰り返されることです。日本語では省略されていますが、彼は、「〈わたしには〉〈わたしの〉作物をしまっておく場所がない」、「〈わたしは〉〈わたしの〉倉を壊して、〈わたしの〉穀物や財産をみなしまい」と言って、すべてを自分のものとして抱え込もうとします。豊かな財産を得て、畑で働いた農夫にもっと分け与えるとか、困っている人のために用いるとか、他者のために用いる、他者に分け与えるということを考えません。すべてを独占して当たり前と思っている態度に、主イエスはどん欲の罪を見ておられます。
私たちにはさまざまな能力や力がありますが、それらはすべて神から与えられたもの、神の賜物です。私たちはその賜物を用いて働きますが、ただ自分と自分の家族のためだけではありません。聖書は、「自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい」(エフェソ4:28)と教えます。私たちが働いて稼ぐのは、困っている人たち、働くことができない人たちのためでもある。公共の福祉のために用いられることも大切ですから、「貢ぎを納めるべき人には貢ぎを納め、税を納めるべき人には税を納めなさい」(ローマ13:7)と命じられるのです。
この金持ちの姿は、経済的にはしっかりしていますが、どこか寂く感じられます。主なる神は、「自分が」「自分の」という、すべてを自分のものにしようとする生き方に対して、「愚か者よ」とおっしゃいます。真実には、財産も豊かさもすべて主なる神から与えられたものです。それゆえ、神が与え、神が取り去りたもうことを知って、慎み深くあることが求められます。財産が大切であると思い始めると、私たちは逆に財産に捕らえられてしまいます。本当に大切なことに財産を用いることができず、財産を腐らせてしまうことも起こるのです。人はその縄目から解き放たれてこそ、真実に健やかに生きることができます。
主イエスは、「受けるよりは与えるほうが幸いである」(使徒20:35)とおっしゃって、与えられているものを人と分かち合い、神に感謝して生きる、神の御前に豊かな人生へと私たちを招いてくださっています。