日曜朝の礼拝「罪人を救うために」

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罪人を救うために

日付
説教
望月信牧師
わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです。以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。そして、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました。「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン。テモテへの手紙一 1章12節~17節

 ここには、使徒パウロの主なる神へのあふれるばかりの感謝が書き留められています。元のギリシア語では、「感謝します、……わたしたちの主キリスト・イエスに」と言って始まり、「唯一の神に、誉れと栄光が……」と主をほめたたえて締めくくられます。感謝の思いがあふれて主をほめたたえるのであり、この段落全体がパウロの感謝の言葉です。

 あふれるような感謝の思い、それは主なる神の恵みがあふれるばかりに与えられているからです。「わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました」。まず「キリスト・イエスによる信仰と愛」が豊かに与えられて、信仰者とされました。そればかりか、「わたしを忠実な者とみなして務めに就かせてくださった」、すなわち、福音を宣べ伝える伝道者、使徒として遣わされたのです。そのようなあふれるばかりの恵みをいただいて、パウロはあふれるばかりの感謝を言い表す者とされています。ここには、神の恵みがあふれ、パウロの感謝があふれるという、恵みと感謝の一致があります。

 しかし、恵みが豊かに与えられても、それを当たり前とみなして感謝に至らないことがあるでしょう。パウロにとって神の豊かな恵みが感謝である、それは自分がその恵みにふさわしいと思っていないからです。パウロは、「以前、わたしは神を冒とくする者、迫害する者、暴力を振るう者でした」と言います。思い起こすならば、彼はキリスト者が神を冒とくしていると言って、迫害していました。ファリサイ派に属する熱心なユダヤ人だったパウロは、イエスを救い主として信じるキリスト者が律法を軽んじる態度をとることに憤り、キリスト者の家から家へと押し入り、荒らし回っていました(使徒8:3)。そこから180度、方向が変わったのです。自分こそ神の恵みにふさわしい者であると思っていたが、決してそうではなかった。自分こそ神を冒とくし、信仰者を迫害し、暴力を振るう者であった。自分など神の恵みにふさわしくない、まったく惨めな者にほかなならない。彼はそのことに気づいてへりくだりました。

 神の御子のへりくだりが、パウロにそのことに気づかせました。ここに、もう一つの一致、へりくだりの一致があります。パウロのへりくだりを生み出したのは、罪人を救うために世に来られた神の御子のへりくだりです。「キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり」。神の御子であるお方が自分を無にしてへりくだり、地上に生まれ、十字架につけられて、私たちの罪をすべて引き受けてくださいました。その御子のへりくだりと忍耐によって、パウロは「罪人の中で最たる者です」と告白することへと導かれました。へりくだりの主イエス・キリストによって、深くへりくだる者とされ、それゆえ、パウロは神のあふれるばかりの恵みを知って、あふれるばかりに感謝を言い表すことへと導かれた。へりくだりゆえの、あふれるばかりの感謝なのです。

 クリスマスに求められている大切なことの一つは、このパウロのように、自らの罪を認めてへりくだることです。クリスマスは喜びの時です。しかし、ただ楽しいと言って騒ぎ立てるような喜びではありません。神の御前に静まり、罪の赦しによる喜びを喜ぶ時なのです。そして、パウロは言いました。「わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエス」。「わたしを強くしてくださった」です。自分が惨めな罪人であると知ることは、決して私たちが弱められることではありません。むしろ強くしていただくことなのです。私たちの罪と弱さに神の恵みと憐れみが働くからです。そこに神の力、神のくすしき御業があります。御子のへりくだりと忍耐を知って私たちもへりくだり、やがて来られる主イエス・キリストを待ち望む信仰の旅路を終わりまで歩み抜いて参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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