日曜朝の礼拝「約束の救い主」

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約束の救い主

日付
説教
望月信牧師
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。(34~43節)マルコによる福音書 6章30節~44節

 主イエスの五千人養いの御言葉に耳を傾けます。一つには、主イエスは、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れまれました。「飼い主がいない羊のような」とは、この群衆だけでなく、私たち人間の真実の姿を示しています。私たちは、自分がどこから来てどこへ行くのか、本当には知りません。何をすべきなのか、どのように生きるべきなのか、自分で見通すことができません。私たちはしばしば人生に迷うのであり、羊に羊飼いが必要であるように、私たちにも導き手、羊飼いが必要なのです。主イエスが「青草の上に座らせるようにお命じになった」(39節)ことは、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、……」という詩編23編を思い起こさせます。主イエスこそ私たちの真実の羊飼いであられます。

 二つには、主イエスは「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とおっしゃって、弟子たちをお用いになりました。そのように、主イエスは、今も、ご自身の弟子たち、私たちキリスト者を用いてくださるお方です。弟子たちが驚いて「わたしたちが……みんなに食べさせるのですか」と答えたように、実際には彼ら自身が食べ物を与えることは困難です。主イエスは最初から、不思議な奇跡を行って「あなたがたが彼らに食べ物を与える」ことを体験させようとしておられたのでしょう。主イエスが賛美の祈りを唱え、パンを裂くと、裂けば裂くほど増えていく。弟子たちはそのくすしき御業を見て、その恵みを多くの人たちに配り歩き、「あなたがたが彼らに食べ物を与え」るという幸いにあずかりました。

 こうして、教会の聖餐式で長老がパンと杯を配餐することには大切な意味があります。主イエスが弟子たちにパンと魚を配らせたことに倣って、長老がパンと杯を配餐します。そしてそれは、長老だけでなく、今の私たち皆に命じられていることにほかなりません。そこには、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」という主イエスの御声に聞き従って福音を宣べ伝える教会の姿があります。信仰者とされて、私たち皆が主イエス・キリストの霊的な恵みを運ぶ者とされて、福音を宣べ伝えるのです。

 三つには、この五千人養いの出来事は最後の晩餐の出来事と響き合っています。「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取りなさい。これはわたしの体である。』また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。『これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である』」(マルコ14:22-24)。主イエスが分け与えられたパンと魚は、真実には、十字架につけられた主イエス・キリストの体を指し示しています。放蕩息子のように神の御前を離れて迷い出し、飼い主のいない羊のような有様に陥っていた私たちのために、主イエスは十字架につけられました。贖いとしての十字架なのです。この十字架の御業に基づいて、主イエスは私たちのまことの羊飼いであられます。十字架の贖いのゆえにキリストの羊の群れの一人とされている恵みに、心から感謝いたします。

 この五千人養いの出来事は、ただパンが増えたことが奇跡なのではありません。新しい神の民が形作られて、主イエス御自身が羊飼いとなってくださるということが奇跡なのです。さらに、パンの屑と魚の残りが十二の籠にいっぱいになったように、恵みが満ちあふれる。ただ驚くだけであった弟子たち、私たちが用いられて、多くの人びとに宣べ伝えられます。そこにも奇跡があります。私たち一人ひとりは小さな者ですが、神の恵みは計りしれないほど大きいのです。主イエス・キリストに導かれる羊の群れとされるときに、神の豊かな恵みが約束されています。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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