日曜朝の礼拝「聖霊によって生きる」

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聖霊によって生きる

日付
説教
望月信牧師
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。(1~13節)使徒言行録 2章1節~47節

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 弟子たちは、エルサレムで一つところに集まっていました。1章15節に、120人ほどの弟子たちが一つになっていたとあります。おそらく、このときも120人ほどの弟子たちが集まって、天に上げられた主イエス・キリストが約束された聖霊を待ち望んで、祈っていたのです。

 すると、突然、天からの激しい風のような音をともなって、聖霊が降りました。それは、炎のような舌が分かれ分かれに現れて、一人一人の上にとどまるという、目に見えるしるしをともなうものでした。これは、聖霊が言葉の霊であることをあらわしています。一人一人に真理を証しする賜物が与えられたのです。炎のように燃やされて熱心に証しするのであり、一人一人の上にとどまるとはそれぞれの能力や賜物に応じて証しするということでしょう。しかも、「一同は聖霊に満たされ……話し出した」と言われるように、一つの共同体として、一つの言葉を語り始めました。こうして、一つ主イエス・キリストの真理を告げ知らせて、福音を宣べ伝え始めたところに、新約のキリスト教会の誕生があります。

 弟子たちが話し始めると、その物音を聞きつけて、大勢の人々が集まって来ました。弟子たちは、その大勢の人々に向かって、主イエス・キリストを宣べ伝えました。ここには、人を造りかえる神の力、聖霊の力があります。集まっていた弟子たちは120人と推測されますが、これは決して多い人数ではありません。主イエスが神の国を宣べ伝えて旅をされたときには、たとえば5000人にパンと魚を分け与えられた出来事がありました。男性だけで5000人であり、女性と子どもを加えると1万人以上でしょう。主イエスの周りにはそれほどの人々が集まって、話を聞いていたのです。ところが、彼らは皆、主イエスから離れ去りました。ユダヤの指導者が主イエスに反対すると、主イエスを歓迎して迎え入れたエルサレムの人々も「イエスを十字架につけよ」と叫んだのです。そのように人々は離れ去り、弟子たちも散らされました。そうして残った120人です。散らされて、かろうじて残ることが許された、小さな120人です。しかも、彼らはユダヤ人を恐れて、身をひそめるようにしていました。もちろん、主イエスを信じて、祈って待っていたのです。けれども、祈ることのほかできることなど何もない。そういうことでもありました。

 その彼らが、どうして突然、大声を上げて、大勢の人々に向かって、主イエス・キリストを証しし始めるでしょうか。普通に考えるならば、「あやつらは新しい酒に酔っているのだ」と言って、あざけるほかないようなことなのです。けれども、弟子たちは決して酒に酔っているのではありません。彼らは真実に、人を造りかえる神の御力によって造りかえられたのです。聖霊の御力によって新しくされて、福音を宣べ伝えることへと促されたのです。まさにここに聖霊の御業が明らかにされています。

 聖霊は、人の心を造りかえる神の力です。人の心を造りかえて、神の御言葉を聞き、神を喜んで宣べ伝えることへと促します。私たちも、今日、この聖霊の恵みをいただいて、神をほめたたえて生きる者とされています。私たちは罪人であり、自分の思うところに従って生きていきたいと思うものです。しかし、そのような私たちの思いを打ち砕き、罪を取り除くためにこそ、主イエス・キリストが十字架につけられてくださいました。その主イエス・キリストの霊である聖霊をいただいて、私たちは神の御前にへりくだることができます。神の御言葉に聞き従い、十字架の真理を証しする者とされます。謙そんにへりくだって、主の復活の証人として生きるところで、主なる神が、私たちの信仰と生活を豊かに祝福してくださいます。感謝して、この一週も、聖霊の恵みに生かされ、主イエス・キリストの福音を宣べ伝えることに励んで参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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