日曜朝の礼拝「あなたがたの手によって」

日本キリスト改革派 鈴蘭台教会のホームページへ戻る

あなたがたの手によって

日付
説教
望月信牧師
日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」というのは、男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。(12~16節)
ルカによる福音書 9章10節~17節

この説教要約には音声ファイルはありません

 今日の箇所には、福音宣教に遣わされた使徒たち、弟子たちが主イエスのもとに帰って来たことが記されています。主イエスは弟子たちの報告を喜びをもって聞いたでしょう。主イエスは、彼らを連れてベトサイダという町に退きました。それは、人里離れた所で彼らの疲れをねぎらい、彼らのために祈り、交わりを深めようとしたからだと推測されます。

 その主イエスと弟子たちのところに群衆が集まってきました。主イエスは弟子たちとの交わりを中断して、彼らに神の国の福音を告げ、病気をおいやしになりました。それは、彼ら群衆の姿を見て、憐れに思われたからでしょう。マタイ福音書が「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(9:36)と語るとおりです。そして、それだけでなく、群衆に仕えることを弟子たちに教えておられます。飢え渇いて主イエスのもとに来た群衆に仕えることによって、弟子たちは使徒の働きを果たすものとされるのです。

 夕暮れになり、弟子たちは食べ物の必要を感じて、群衆を解散させることを主イエスに申し出ました。そこで主イエスは、五千人養いの奇跡を行われました。これは、主イエスご自身が人びとに糧を与えて養われる、そのしるしと言うべきくすしき御業です。この御業は、今日の私たちにとって、主イエスの言葉、神の御言葉によって養われることを意味します。神の御言葉は主イエス・キリストの十字架と復活の恵みを私たちに差し出しますから、私たちは御言葉を通して主イエス・キリストを食して、信仰の命、霊的な命を養われるのです。

 このとき、主イエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とおっしゃいました。弟子たちは、男だけで五千人いる、彼ら群衆を食べさせるだけの食べ物はなく、お金も持ち合わせていないと答えました。けれども、主イエスは、感謝と賛美の祈りをささげ、パンと魚を裂いて、それを増やしてしまわれました。これは、主イエスにしかできない、まことにくすしき神の御業です。そして、そのわざに弟子たちをあずからせてくださいました。弟子たちは、主イエスが増やしたパンと魚を大勢の群衆に配ることによって、主のくすしき御業を手伝う者とされました。これが、主イエスのおっしゃる「あなたがたが彼らに食べ物を与える」ことでした。主イエスは、こうして弟子たちに教えておられます。神の恵みの御業を私たち自身の手を通して配ること、それが主に仕えることであり、伝道である。私たち自身、神の恵みの御業にあずかっています。その自らに与えられている恵みを配り歩くこと。それが伝道なのです。

 まどみちおさんの「不思議なポケット」という歌があります。「ポケットのなかには ビスケットがひとつ ポケットをたたくと ビスケットはふたつ」。叩くたびにビスケットが増えていく不思議なポケットです。この理解の仕方の一つに、ビスケットの入ったポケットを叩くと、ビスケットが割れる。割れると二人で分けることができる、という理解があります。もう一回叩くと三枚に割れて、三人で分けることができる。ビスケットは何回も叩くと粉々になってしまい、うまく分けることができないでしょう。けれども、主イエス・キリストの恵みは叩かれて叩かれて、決して粉々になることがありません。叩かれて砕かれて、けれども、むしろ恵みが増し加わる。それが、主イエスがパンと魚を裂かれた出来事です。すなわち、主イエス・キリストが十字架につけられて私たちのために肉を引き裂かれ、血を流された。それも、叩かれて砕かれて、けれどもそこに恵みが満ちあふれるという不思議な御業でした。そういう神の恵みを与えられて、私たちはそれを配る者とされています。あふれる恵みに感謝して、主イエス・キリストの使徒として、共に歩んで参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

礼拝に来てみませんか?

鈴蘭台教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

ホームページからでしたらお問い合わせフォームを。お電話なら078-592-6875まで。お電話の場合、一言「ホームページを見たのですが」とお伝えくださると、話が伝わりやすくなります。