2018年度の説教要約 (新しい順)
ナザレの人イエス
マタイによる福音書 2章13節~23節ヘロデが幼い子どもを殺したという、たいへん痛ましい出来事が書き留められています。クリスマスが光の出来事であるならば、これは暗闇の出来事です。そして、福音書は、たとえ暗闇のように思えることにおいても…
平安と希望に生きる
マタイによる福音書 2章1節~12節主イエスがお生まれになったとき、東方から占星術の学者たちが駆けつけました。ユダヤ人の王のお生まれを告げる星を見て、砂漠を越える長い旅をしてやって来たのであり、それなりの備えが必要だったでしょう。彼…
聖霊によって
マタイによる福音書 1章18節~25節「神は我々と共におられる」。この言葉が与えられたとき、ヨセフは大きな試練の中に置かれていました。ヨセフはマリアと婚約していて、二人は世間的にはすでに夫婦と認められる間柄でした。しかし、このとき、マ…
へりくだりの救い主
マタイによる福音書 1章1節~17節マタイ福音書は、その冒頭でユダヤ人によく知られていたアブラハムとダビデの系図を用いて主イエス・キリストを紹介しました。十字架につけられた主イエスこそまことの救い主であると、告げ知らせたのです。 こ…
キリストの平和
ミカ書 5章1節~14節東方から学者たちが来たとき、ヘロデ王が律法学者たちに調べさせて、ミカ書に新しい王の誕生が預言されていることが分かりました。「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決していちばん小さ…
神に立てられた牧者
エレミヤ書 23章1節~8節「わたしはダビデのために正しい若枝を起こす」(5節)とあり、救い主メシアの到来が約束されています。「主は我らの救い」(6節)も、主イエスを指し示します。この箇所は、主イエス・キリストが神の約束の実現…
聖書に聞く、子育ての秘訣
箴言 1章1節~7節「主を畏れることは知恵の初め」とあります。この箴言全体の要とも言うべき御言葉です。ここに、聖書の語る教育の基本があります。「初め」とは物事の根本の意味での初めであり、土台とも言われます。主なる神を…
エルサレムを目指して
ルカによる福音書 9章51節~56節今日の箇所はルカ福音書の節目の一つです。「天に上げられる時期が近づくと」とあります。もともとの文章に「天に」という言葉はありません。単に「上げられる」であり、これは昇天だけでなく、十字架を含めて理…
だれがいちばん偉いのか
ルカによる福音書 9章46節~50節主イエスの弟子たちの間でだれがいちばん偉いのかという議論が起こりました。きっかけは、多くの苦しみを受けて殺されると主イエスが告げたことでしょう。弟子たちは主イエスに疑問を抱きながら、主イエスに直接…
ここに連れて来なさい
ルカによる福音書 9章37節~45節主イエスの山上の変貌とそれに続くいやしの御業は、古くより一つに結び合わせられて理解されてきました。一方には山の上で栄光に輝く主イエスの姿があり、もう一方には山のふもとで病をいやすことができず、無力…
栄光に輝く主イエス・キリスト
ルカによる福音書 9章28節~36節「山上の変貌」と言われる出来事です。山に登られた主イエスの顔の様子が変わり、服が真っ白に輝きました。主イエスは神の御子の栄光の光に輝かれたのです。主イエスは、人として地上を歩まれましたから、普段は…
自分の十字架を背負う
ルカによる福音書 9章21節~27節「わたしについてきたい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」。非常に印象深く、重たい御言葉です。「自分の十字架」と言われていて、自分が負うべき何かの重荷を背負って、主…
あなたがたの手によって
ルカによる福音書 9章10節~17節今日の箇所には、福音宣教に遣わされた使徒たち、弟子たちが主イエスのもとに帰って来たことが記されています。主イエスは弟子たちの報告を喜びをもって聞いたでしょう。主イエスは、彼らを連れてベトサイダとい…
キリストの大使として
ルカによる福音書 9章1節~9節9章には、十二弟子が伝道のために遣わされ、訓練される様子が記されています。福音を宣べ伝えて神のくすしき御業を行うとは、主イエスご自身の御業です。そして、伝道とは、その主イエスの御業が弟子たちにゆだね…
平和を創り出す
マタイによる福音書 5章3節~12節「神の子」という主イエスの言葉を聞いて、当時の多くの人びとはただちにローマ皇帝アウグストゥスを思い浮かべたでしょう。ユリウス・カエサルが始めた戦いをアウグストゥスが終わらせて、ローマ帝国は落ち着い…
神の選びの歴史
創世記 11章10節~32節創世記の前半、11章までは、全人類の共通の体験として書き記されています。それに対して後半、12章以降は、一つの民族に焦点が当てられます。アブラハムとその子孫、すなわちイスラエルの民の始まりが明らかにさ…
バベルの塔
創世記 11章1節~9節「同じ言葉を使って、同じように話していた」(1節)とは、ただ言語として同じ言葉を使っていたということではなく、同じことを考え、思い計っていたということです。意見や思想が統一されていて、意思疎通に乱れ…
勇敢な狩人ニムロド
創世記 10章8節~12節ノアの子孫の系図に挿入されているニムロド物語から学びましょう。ハムの系列に分類される民族や国の名前が挙げられる中、「クシュにはまた、ニムロドが生まれた」(8節)とあり、このニムロドは民族ではなく一人…
世界は神のもの
創世記 10章1節~32節聖書の系図は、通常、アダムからセト、セトからエノシュというように、子孫の縦のつながりを明らかにします。それに対して10章の系図は少し違っていて、横の広がりを示します。また、通常、個人名で記されますが…
罪の奴隷となることなく
創世記 9章18節~29節「セムの神、主をたたえよ」(26節)とあります。イスラエルの民はセムの子孫であり、この箇所の一方の当事者はイスラエル民族です。また、「ハムはカナンの父」(18節)などとあり、もう一方の当事者はカナンで…
虹の架かるところ
創世記 9章8節~17節主なる神はノアと契約を結び、「わたしは雲の中にわたしの虹を置く」とおっしゃいました。虹は英語でレインボウです。雨(レイン)と弓(ボウ)から成り立つ言葉ですが、ただ雨上がりに現れる弓のようなものとい…
いのちの尊厳
創世記 9章1節~7節「産めよ、増えよ、地に満ちよ」。この祝福に、この世界のすべての土台があると言うことができます。主なる神は、すべて肉なる者を洪水で滅ぼすことを決断されましたが、それは罪を嘆き悲しむゆえにほかなりません…
揺るがない土台を求めて
マタイによる福音書 7章24節~29節主イエスは、私たちの人生は家を建てることに似ているとおっしゃいます。家を建てるならば、どこに家を建てるのか、ふさわしい場所を選んで、しっかりした土台を据えるでしょう。雨が降り、近くの川があふれ、風…
新しい始まり
創世記 8章20節~22節人の罪のゆえに、大地は呪われていました(創世記3:17)。主なる神は、洪水によって人もろとも大地まで滅ぼそうともされたのです。けれども、その呪いが取り除かれる道がここに開かれました。 箱舟から外に出た…
止まない雨はない
創世記 8章1節~19節雨は、「天からの雨は降り止み」と言われるまで降っていたものと思われます。水が勢いを弱めたのは150日が過ぎてからです。ノアが601歳になり、「地上の水が乾いた」と言われます。箱舟に入ってから一年が過ぎた2…
子どものように生きる
ルカによる福音書 18章15節~17節「(子供たちを)妨げてはならない」。極めて単純なことですが、子どもも神のまなざしの中に置かれて、神の民の中に数えられているからです。神の民は神の家族だと言われます。家族にはおとなだけでなく子どもも…
聖霊に満たされて
使徒言行録 2章1節~4節聖霊降臨を記念して、礼拝をささげています。ペンテコステは五旬祭であり、旧約の過越祭から五十日目のお祭りです。一つには、小麦や果物の収穫を主なる神に感謝する意味がありました。もう一つとして、モーセが…
戸が閉ざされる時
創世記 7章1節~24節清い動物が七つがいずつ、清くない動物が一つがいずつと言われます。8章で、箱舟から出たノアは、清い動物と鳥を取って焼き尽くす献げ物としてささげます。そのために清い動物は多く集められ、清くない動物を含め…
万物の終わりとノアの洪水
創世記 6章9節~22節ノアの洪水は、ただ単にすべてを滅ぼす、滅びの物語ではありません。主なる神はノアを選び出し、ノアとその家族を洪水から救い出すことを計画されました。ですから、洪水の物語は救いの物語でもあります。この物…
心を痛める神
創世記 6章1節~8節ノアの洪水は、ただ大水が出たという類いの出来事ではありません。「大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」(7:11)とあり、言うならば、天と地の、水との境が取り除かれたような出来事です。この…
神と共に歩む人生
創世記 5章1節~32節日本人の平均寿命は、2016年のデータで、男性がおよそ81歳、女性がおよそ87歳だそうです。現在の日本は、平均的にそれだけ長く生きることができる幸いな状況にあります。ところが、この聖書箇所には、もし長生き…
平和があるように
ルカによる福音書 24章33節~43節「あなたがたに平和があるように」。この平和は神との平和です。また、これは願望や祈りではなく、宣言です。主イエスは、「わたしがあなたがたに平和をもたらす。わたしが与える平和が、今、あなたがたにある」…
主は生きておられる
ルカによる福音書 24章13節~35節主イエスが十字架につけられて三日目の朝、女性たちがお墓に行くとお墓は空っぽであり、主イエスの遺体が見当たりません。そこに輝く衣を着た二人の人、神の御使いが現れて、告げました。「なぜ、生きておられる…
主イエスのまなざし
ルカによる福音書 22章54節~62節この直前の過越の食事の席で、ペトロは「主よ、ご一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言いました。その気持ちは決して偽りではありませんでした。主イエスが捕らえられ、連れて行かれて…
罪人のひとり主イエス
ルカによる福音書 22章35節~38節十二弟子や七十二人の弟子たちを伝道のためにお遣わしになったとき、杖も袋もパンもお金も持っていかないことを主イエスはお求めになりました(9、10章)。それは主なる神に信頼するからです。ただ主なる神に信頼…
立ち直って生きる
ルカによる福音書 22章31節~34節過越の食事の席上、主イエスを裏切る者がいると明らかにされたことがきっかけになり、弟子たちは、自分がいちばん偉いのだと言い合い始めました。ペトロはある種の優越感を感じながら、静かに聞いていたのではな…
人の企みと神の計画
ルカによる福音書 22章1節~13節主イエス・キリストは自ら過越の食事の備えをしておられます。ペトロとヨハネに準備を命じましたが、真実には主イエスご自身が準備しておられました。おそらくご自分であらかじめ手配して、その上で、このとき、…
絶望の淵を越えて
ルカによる福音書 8章49節~56節主イエスは、一人娘の死を知らされたヤイロにおっしゃいました。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる」。これは人間が語ることのできる言葉ではありません。主イエスがまことの神、ま…
私たちの力尽きるときにも
ルカによる福音書 8章40節~48節主イエスが一人娘のいやしを願い出た会堂長ヤイロの家に向かっておられる途中、医者からも治してもらえない女性が主イエスに近づいてきました。この二つの出来事は、福音書が書き記される以前の段階で、すでに一…
教会の土台
マタイによる福音書 16章13節~19節主イエスは、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」とおっしゃいました。主語は主イエスご自身です。主イエスご自身が教会を建ててくださいます。そして、主イエスは、教会とは何であるのかをここで教え…
レギオンからの解放
ルカによる福音書 8章26節~39節主イエスと弟子たちは、ガリラヤ湖を舟で渡って東岸に到着しました。そこには一人の男がおりました。おそらく異邦人です。主イエスは、この一人の男に会うために、危険を冒して湖を渡って来られました。そのほか…
人生の嵐においても
ルカによる福音書 8章22節~25節主イエスは、ガリラヤ湖西岸のカファルナウム付近から舟に乗り、悪霊に取りつかれている一人の男に会うために、向こう岸に向かわれました。その際、なぜ舟で渡ろうとされたのか。それは主イエスがお疲れだったか…
キリストの兄弟、神の家族
ルカによる福音書 8章19節~21節主イエスの母マリアと兄弟たちが主イエスを訪ねて来ました。主イエスが「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになったとあり、主イエスの反応が冷たいものだったと…
必ず明らかになる
ルカによる福音書 8章16節~18節ルカ福音書8章の4節から21節まで、神の御言葉を忍耐強く聞いて実を結ぶに至ることへと私たちを励ます御言葉が続いています。主イエスは「聞く」ことを教えておられますが、それは、ただ「耳で聞く」ということで…
御言葉に聞き入る幸い
ルカによる福音書 10章38節~42節まず、マリアの姿に目を留めましょう。「マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入ってい」ました。おそらくマリアも主イエスをもてなすために立ち働いていたでしょう。主イエスと弟子たちを迎えて、飲み物を…