日曜朝の礼拝「神にはできる」

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神にはできる

日付
説教
望月信牧師
ある議員がイエスに、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた。イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると議員は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。(18~23節)ルカによる福音書 18章18節~30節

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 「何をすれば」が議員の問いのポイントです。「信じる者は救われる」と言いますが、本当に信じるだけで救われるのか、何かすべきなのではないか、そんなことを思ったことはないでしょうか。「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」という問いは、それと同じ種類の問いです。それに対して、「何かするではない、信じるだけで救われる。信じる者は救われる」、主イエスはここでそう教えておられます。

 この議員はマタイ福音書によると青年です。彼は若くして議員になり、地位も名誉も財産もありました。子どもの頃から十戒を守って育ち、とても人望のある人物だったでしょう。主イエスはこの青年を憐れんで、ていねいにお答えになりました。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」。

 やっぱりすべきことがあるではないか。そうではありません。あなたには憐れみが欠けている。憐れみを加えたならば、あなたに合格点を与えよう。そうではありません。主イエスがお求めになったことは手放すことです。この青年にとって財産だけはどうにも手放せない大切なものだったのでしょう。主イエスはそれを見抜いて、財産を手放すことをお求めになりました。すべてを捨てること、裸になることが求められたのです。「裸になって、わたしに従いなさい」と主イエスはおっしゃったのです。財産が主イエスに従うことの妨げになっていたからです。

 私たちは自分の手でいろいろなものを握りしめています。財産だけでなく、地位や名誉を握りしめることがあります。29節で主イエスが指摘するように、家族を握りしめることもあるでしょう。家族のことを考えると信仰の決断ができない、そういうことがあるのです。私たちには、これは手放すことができないと思い、それが主イエスに従うことの妨げになっている、そういうものがあるのではないか。真実には、それらを捨て去ってこそ主イエスにまっすぐに従うことができるでしょう。

 私たちが何を握りしめようとも、神の御前には通用しません。家族のことも、自分の手の内に握りしめてしまうのではないのです。しかし、それらを放り出すことなどできない。お金を放り出すことも、家族を手放すことも、私たちにはできません。それで、「それでは、だれが救われるのだろうか」ということになります。「らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい」とは、不可能だと言い表す当時のことわざです。そのところで、主イエスは約束してくださいます。「神にはできる」。ここに私たちの希望があります。この主イエス・キリストの御言葉に信頼します。「神にはできる」。この約束を実現するために、主イエス・キリストが十字架につけられてくださいました。そして、よみがえってくださったのです。

 私たちにはまったく不可能である。そのことを率直に認めて、私たちは子どものようにからの手を差し出します。まったく単純に神に依り頼む。ただひと筋に生けるまことの神を仰ぎ見る。すると、実のところ、信仰者とされて、捨てたはずのものがもう一度新しい仕方で返される、そういうことが起こります。家族を放り出したように思い、けれども、その家族を新しい仕方で受け止めて、新しい関係を造り出すことができます。ですから、捨てるとは主なる神におゆだねするということです。そうして主の御業に期待する。そのことが「神にはできる」。主イエスはそう約束しておられます。そうして、事実、すべてを捨てる、その不可能なことを成し遂げて、主イエス・キリストの弟子たちが召し出されました。私たちも、この不可能な、らくだが針の穴を通るようなことを成し遂げて、キリスト者とされています。これが神の恵みの現実なのです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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