日曜朝の礼拝「祈りを待っておられる神」

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祈りを待っておられる神

日付
説教
望月信牧師
「裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」
それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。」(4~7節)ルカによる福音書 18章1節~8節

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 私たちは信仰者とされて、神に祈る者とされています。しかし、信仰者であってもなお、しばしば失望して、祈ることをあきらめてしまうことに陥ります。主イエスは、その私たちを励まして、確信に満ちた力強い祈りを祈り続けるために、このたとえを与えてくださいました。

 やもめがひっきりなしにうるさく裁判官に訴え続けるというたとえ話です。やもめは、公正に裁いてくれることを願って、訴えました。ところが、その裁判官は、神など畏れない、人を人とも思わない裁判官でした。「不正な裁判官」とありますが、当時のユダヤでは異邦人が裁判官に任命されることが多く、そのため、旧約の神の御言葉に聞き従おうとしない、その点で「不正な」と言われるのだと推測されています。神を知らず、もっぱら自分のために生きるということだったのです。ですから、彼女のために裁判をしてやるというのも、さんざんな目に遭わされることから逃れるため、すなわち、ただ自分を守るためでした。

 さて、このたとえは、神の姿をこの不正な裁判官に重ね合わせるというものではありません。やもめがしたように、ひっきりなしに訴えてさんざんな目に遭わせるような祈りが必要だというのではありません。7節に「まして神は」とあります。この「まして」は、神とこの裁判官の違いを示しています。このたとえは類比のたとえではなく、対比のたとえです。「選ばれた人たち」とあるのも、やもめに対して「選ばれた人たち」であり、やもめと「選ばれた人たち」には違いがあるのです。

 裁判官とやもめの間には直接の関係が何もありません。親族ではなく、知り合いでもありません。ですから、ひっきりなしに行って、うるさく訴えるばかりです。それに対して、主なる神と信仰者の間には、たいへん強い関係、結びつきがあります。「選ばれた人たち」であり、神が愛して特別に選んでくださった民なのです。その愛する者たちが訴えて祈るならば、彼らをいつまでも放っておかれることがあろうか。いや、神は速やかに裁いてくださる、必ずその祈りを聞いてくださる。これは、主イエスがそうおっしゃって、約束してくださっているたとえです。

 生けるまことの神は、私たちのことを愛して憐れんでくださるお方です。いったいどうして放っておけようかとおっしゃって、私たちの祈りを待っていてくださるお方です。そして、神の民である私たちは、私たちを愛して、私たちのために良いものを与えたいと願っておられるお方が祈りを聞いくださっているのだと知っています。ですから、気を落とすことなく、失望することなく、絶えず祈ることができます。神の愛に基づいて、勇気をもって、どんなことでも大胆に祈ることができるのです。

 「しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」。主イエスが嘆かれた通り、旧約のイスラエルの民だけでなく、今の私たちも、神を信じることのできない罪人にほかなりません。しかし、主イエスご自身が十字架につけられて死んでくださいました。神の裁きを身に受けることによって、この地上に信仰者を生み出してくださったのです。人は、この主イエスを仰いで、真実に神に祈るものとされます。神を「アッバ、父よ」と仰いで、信頼して祈ることを始めるのです。

 神は主イエスにおいて私たちを速やかに裁いて、私たちの罪を赦し、そればかりか私たちを神の子どもとしてくださいました。ただそれゆえに、私たちは、不正な裁判官に必死に訴えたやもめにまさって、大胆に、どんなことでも、御父に訴えて祈ることができます。もし間違った祈りをささげたとしても、祈りにおける罪さえ主イエスによって赦されて祈ることができます。そうして、私たちは、失望することなく、気を落とすことなく、大胆に、どんなことでも祈ることのできる者とされているのです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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