日曜朝の礼拝「主に望みをおく人は新たな力を得」

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主に望みをおく人は新たな力を得

日付
説教
望月信牧師
ヤコブよ、なぜ言うのか
イスラエルよ、なぜ断言するのか
わたしの道は主に隠されている、と
わたしの裁きは神に忘れられた、と。
あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく、疲れることなく
その英知は究めがたい。
疲れた者に力を与え
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。イザヤ書 40章27節~31節

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 この一年の標語聖句の御言葉に耳を傾けます。イザヤ書40章31節が標語聖句、「主に望みをおく人は新たな力を得」が標語となります。

 「鷲のように翼を張って上る」という言葉が私たちの目をひきます。鷲の飛び方の特徴は滑空するように飛ぶことだそうです。自分の力で羽ばたいて飛ぶのではなく、翼を大きく広く張って上昇気流をとらえて滑るように飛ぶ。そうして自分の力で飛ぶのではないから、「走っても弱ることなく、歩いても疲れない」のです。そして、それが私たちにとって「主に望みをおく」ということにほかなりません。主に望みをおく人、主に信頼する人は、主なる神から新しい力を得ることができます。言うならば、神が吹かせてくださる風に乗って飛ぶことができるのです。そうして神から力を得るから、走っても弱ることなく、歩いても疲れない。主に望みをおくことに私たちの助けがあり、私たちの力があります。

 次に、「走っても弱ることなく、歩いても疲れない」とは、弱ってはいけない、疲れてはいけないということではありません。29節に「疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる」とあり、この御言葉は私たち信仰者にも弱ること、疲れることがあることを前提にしています。信仰者も疲れて勢いを失うことがある、「けれども」です。「けれども」主なる神は倦むことなく疲れることもない。それがこの御言葉のメッセージです。決して弱ることなく疲れることもないお方がおられます。そのお方が新たな力を与えてくださって、主に望みをおく者は走っても弱ることなく、歩いても疲れることもない、です。

 主なる神は私たちが弱り果て疲れてしまうことをご存じです。ですから、ご自身の独り子イエス・キリストを私たちに与えてくださいました。そして、その主イエスがおっしゃいます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)。「重荷」と言われます。神に似せて造られた私たちには、自らにゆだねられた役割を果たし、人生の責任を負うことが求められています。家族や周りの人たちに対する務めを果たし、仕事などを通して社会を建て上げていくのです。また、私たちの罪ととがゆえの重荷、神と隣人を愛することができない、むしろ神に敵対し、隣人を傷つけてしまう、罪の重荷でもあります。私たちは罪ゆえの痛み、苦しみを背負って疲れ果ててしまうのです。その重荷を、主イエスが背負ってくださいます。それは、主イエスが中心となって背負ってくださり、私たちは主イエスが背負っている重荷を一緒に背負わせていただくというイメージです。そうして真実には、私たちのすべてが主イエスに背負われて歩むものとされます。そのために、主イエスは十字架につけられてくださいました。私たちの背負うべき重荷を中心となって背負い、ただ一人、十字架につけられて、肉を引き裂かれ、血を流して、死んでくださいました。

 この主イエスに結ばれて、私たちは罪に死に、新しい命に生きる者とされて、絶えず新しい力をいただくものとされます。御言葉と聖霊によって、絶えず新しい力をいただくのです。「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」。これは、主なる神がご自身の御子イエス・キリストにおいて成し遂げてくださることにほかなりません。私たちは、御子の十字架のゆえに、たとえ疲れることがあろうとも、もう一度立ち上がる者とされています。主なる神から力を与えられて、恵みによって立ち上がらせられるのです。「倦むことなく、疲れることなく、その英知は究めがたい」生けるまことの神が私たちに新しい力を与えて、立ち上がらせてくださいます。その確信に立ち、主に望みをおいて、共に歩んで参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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