日曜朝の礼拝「十字架の王」

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十字架の王

日付
説教
望月信牧師
「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。(33~38節)ルカによる福音書 23章32節~43節

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 主イエスは、人々にあざけられ、ののしられて、十字架につけられました。ユダヤ人の王と自称しているという理由で訴えられていましたので、ローマ兵は主イエスに紫色の衣を着せ、茨で編んだ冠をかぶらせて、主イエスをあざけりました。ユダヤの議員たちは、「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい」と言って、主イエスをあざ笑いました。ここに救い主としての主イエスのお姿が差し出されています。人々にあざけられ、侮辱される救い主のお姿です。

 主イエスは、もちろん、奇跡的な仕方で十字架から降りようと思えば、降りることができたでしょう。けれども、決して降りようとはなさいませんでした。天の軍勢を呼び寄せたり、天から炎の矢を降らせようと思えば、もちろん、できたでしょう。けれども、決してそのような仕方で人々にご自分の力を示そうとはされませんでした。むしろ主イエスは無力になられました。力ない者となられ、小さな者となられました。主イエスが救い主であられるとは、無力で、笑いものにされ、「お前は必要ない」「お前などいらない」、そう言って捨てられるということだったのです。

 ローマの兵士たちは「これはユダヤ人の王」と書いた札を掲げて、主イエスをあざ笑いました。私たちは知らなかったのです。このお方が本当に王であられるということを。このお方は、「ユダヤ人の王」と呼ばれ、無力となられ、あざ笑われることによって、まことの王として、いわば即位されました。私たちが思い浮かべる即位式とはまったく違っていますが、これが主イエスが王となられるということだったのです。

 主イエスが王となられる。それは私たちのためでありました。「彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった」(イザヤ53:5)。十字架によって、私たちには思いもよらなかったこと、誰も考えなかったことが成し遂げられました。主イエスが王となられるとは、私たちがかけられるべき十字架に、私たちに代わってかけられるために、王となられたのです。

 それは、私たちがそれぞれ自らの王、自らの神であるからです。私たちは、まことの王を王とし、まことの神を神として生きるというのではない。私たちは自分自身を王とし、神として、自分の思うままに生きています。王ではない者なのに、王であろうとして、神に背いている。そのような偽りの王である私たちは、神の御前に罪を問われなければなりません。神の御前に滅ぼされるべき者にほかならない、その私たちに代わって、主イエスが王となられた。それは、神からの刑罰をすべて引き受けて、御父から捨てられるために王となってくださいました。そうして、人々からもあざけられ、ののしられ、捨てられてくださいました。

 福音書は約束しています。このお方は、真実には何も悪いことをしていないお方です。神の御前に罪のないお方なのです。このお方がすべての罪を背負って死に、私たちの罪の贖いを成し遂げてくださいます。私たちに代わって、罪の呪いととがをすべて引き受けてくださいます。それゆえ、犯罪人の「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」という願いに応えて、主イエスはおっしゃいます。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」。ですから、たとえどれほど罪を犯していようが、どれほど自らを王として生きていようが、主イエスに思い出していただけるならば、主イエスによって神の御国に迎え入れられる者とされます。そして、主イエスは、主イエスに救いを求めて立ち帰る者を決して拒まず、ご自分のみもとに招いてくださるお方です。今こそ、この十字架の王イエス・キリストをまことの王として仰いで、主イエス・キリストの御前に立ち帰りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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