日曜朝の礼拝「苦しみを受け~使徒信条15~」

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苦しみを受け~使徒信条15~

日付
説教
望月信牧師
「この方は、罪を犯したことがなく、
その口には偽りがなかった。」
ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。(22~24節)ペトロの手紙一 2章18節~25節

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 使徒信条は、「おとめマリアより生まれ」に続いてただちに「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と告白します。それは、主イエスの地上のご生涯の全体を苦しみとして理解するからです。主イエスが私たちの罪に対する神の怒りを引き受けてくださった。それは決して十字架だけではありません。地上のご生涯の全体が私たちのために神の怒りを担う歩みだったのであり、苦しみとして理解されるものでありました。

 主イエスは私たちのために神の怒りを担って、苦しまれました。それは、どのような苦しみだったのでしょうか。私たちは地上の歩みの中で多くの苦しみ、痛みを味わいます。肉の糧を得るための苦しみがあるでしょう。病から来る苦しみもあるでしょう。愛する者を失って苦しむことがあり、人間関係において傷つけられ、破れを負い、苦しむこともあります。主イエスはそれらの苦しみをすべて担ってくださいました。しかし、主イエス・キリストが私たちのために苦しんでくださったと言うときに、これらの苦しみだけでは決して十分ではありません。これらとはまったく異なる苦しみをも担ってくださったのだと言わなければなりません。

 主イエス・キリストが担われた苦しみには、肉体的な苦しみがあり、人々から見捨てられた精神的な苦しみがあります。しかし、それだけではありません。主イエスの苦しみは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)と叫ばれたように、神に見捨てられたということにほかなりません。私たちに代わって神の怒りを引き受けて、神に見捨てられる苦しみを味わってくださったのです。

 神に見捨てられる、この苦しみを、私たちが真実に理解することはできません。神に見捨てられるとは神との交わりの断絶です。しかし、私たちは罪の内に生まれ育ち、神に背を向けて生きることができる罪人でした。信仰者となってなお、御言葉を聞かずに過ごすことができ、祈ることを忘れて生きることもできる。神の恵みを知ってなおそうなのですから、神に見捨てられることの苦しみは私たちには真実には分からない。

 しかし、主イエスは違います。主イエスは独り子なるまことの神であり、御父との三位一体の交わりの内に生きておられるお方です。その主イエスが御父に呼びかけて、しかし、御父は答えてくださらない。主イエスは、十字架において、神との交わりがすべて失われた、神との完全な断絶を苦しみ、光の失われた暗闇の中に立ってくださいました。本当は、私たちがその暗闇に立たせられるべきでした。罪人である私たちは、神に見捨てられて当然なのです。しかし、その暗闇に主イエス・キリストが立ってくださいました。そして、主イエス・キリストは、その暗闇に立たせられてなお、御父への信頼を貫かれ、従順であられました。神は答えてくださらない、そこでなお神を仰いで信頼することに固く立ち、苦しみを耐え忍んで死に、罪と死に打ち勝ってよみがえられました。

 二つのことに心を留めましょう。一つは、主イエス・キリストのこの苦しみのゆえに、神は決して私たちを見捨てません。主イエスが見捨てられて死ぬ苦しみを背負ってくださいました。それゆえに、私たちは決して見捨てられません。もう一つとして、主イエスは神を信じて苦しみを耐え忍ばれました。また、私たちを愛し抜いて苦しみを耐え忍ばれました。それゆえ、私たちが本当に味わうべき苦しみ、背負うべき苦しみは、信じるという苦しみであり、愛するという苦しみです。苦しみを耐え忍んで、信じ、愛して、希望に立ち続けるのです。神と人を信じて、愛して、希望に生きることに耐え忍ぶ。信仰と希望と愛を貫くことにおいて苦しみを耐え忍ぶ。そこに苦しみを耐え忍んで十字架につけられてくださった主イエス・キリストに結ばれて生きる、信仰者の新しい人生があります。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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