日曜朝の礼拝「ポンテオ・ピラトのもとに~使徒信条14~」

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ポンテオ・ピラトのもとに~使徒信条14~

日付
説教
望月信牧師
ピラトはまた出て来て、言った。「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは言った。「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」ユダヤ人たちは答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」(4~7節)ヨハネによる福音書 19章1節~16節

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 ポンテオ・ピラトはローマ帝国の総督です。この男が主イエスを十字架につけると定めて、十字架刑を執行しましたから、キリスト教においてたいへん評判の悪い人物です。しかし、使徒信条は「ポンテオ・ピラト」の名前を大切に書き留めています。それは、いったいなぜでしょうか。

 一つは、ポンテオ・ピラトは、紀元26年から36年までの10年間、シリア州ユダヤの総督の地位にあり、その名前がローマ帝国の歴史の中にはっきり記録されています。ピラトの名前は、主イエス・キリストの十字架が歴史的事実であることを証ししていると言うことができます。

 二つには、ピラトはローマの総督であり、ローマ人、すなわち異邦人です。ユダヤ人の訴えに基づいて総督ピラトが十字架刑を執行したとは、ユダヤ人だけでなく異邦人も主イエスを十字架につけたということにほかなりません。「ポンテオ・ピラトのもとに」とは、すべての人が主イエス・キリストを十字架につけたということを意味しています。

 しかし、ピラトは、決して自由に何の圧力もなく十字架刑を決断したのではありません。ピラトは総督としてもちろん支配者側に立っていますが、その立場は中間管理職に過ぎません。一方で、彼はユダヤの地方総督として、シリア州全体の総督、さらにはローマ皇帝に仕える立場です。その一方で、彼に仕える多くの人種・民族から成り立つ官僚・軍人がいて、彼らを統括することは簡単なことではありません。被支配者であるユダヤ人から突き上げられることもしばしばです。何度か内乱が繰り返されたユダヤは治安の維持が困難な地方の一つであり、ユダヤ人の思いを無視して、支配することなどできません。その意味で、彼はこの世の社会構造に縛られた不自由な人間の代表にほかなりません。

 ピラトは、人間を支配しようとするさまざまな現実の力に捕らえられています。保身を考えることへと誘惑する力が彼に働いているのであり、ピラトは、その中で主イエスの前に立ち、自分と戦わなければなりません。19章13節の「裁判の席に着かせた」は、ピラト自身が裁かれる席に着いたという意味で理解することができる文章です。真実には、主イエスこそが裁くお方です。ピラトは「わたしはこの男に罪を見いだせない」(6節)と考えていました。裁判の席で彼はその真理を貫くことができるのか。いや、彼は真理を裏切り自らをも裏切って、主イエスの十字架刑を決断しました。こうして、さまざまな力のゆえに自分の身を守り、自分に負けてしまう人間の罪と弱さが主イエスの前にあらわです。しかし、これが私たち自身の姿にほかならない。私たちも真理を貫くことができない罪と弱さを知っています。ピラトの罪は決してピラトだけのものではありません。主イエスは、ピラトにおいてあらわになったこの人間の罪の悲惨をすべて背負って十字架につけられてくださいました。

 こうして、主イエスの十字架は第一にピラトのための十字架であり、罪人である私たちの名前がピラトに重ねられているのだと言うことができるでしょう。ピラトの名前は救われるべき名前として刻まれているのであり、それゆえ、決して使徒信条から削られてはなりません。

 ピラトは真理を明らかにするために神に用いられた人物です。「わたしはこの男に罪を見いだせない」とは生けるまことの神の言葉でもあり、主イエスに罪がないことを神が認めておられます。ピラトが主イエスを十字架に引き渡したとは、主なる神ご自身が主イエスを十字架に引き渡したということなのです。御父は、罪のない尊い独り子を私たち罪人の救いのために十字架に引き渡してくださいました。こうして、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられたお方こそ、私たちの罪の償いのために死んでくださった、まことの救い主にほかなりません。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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