日曜朝の礼拝「おとめマリアより生まれ~使徒信条13~」

日本キリスト改革派 鈴蘭台教会のホームページへ戻る

おとめマリアより生まれ~使徒信条13~

日付
説教
望月信牧師
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」(28~33節)ルカによる福音書 1章26節~38節

この説教要約には音声ファイルはありません

 ハイデルベルク信仰問答は問35で、「『主は聖霊によりて宿り、おとめマリアより生まれ』とは、どういう意味ですか」と問い、「永遠の神の御子、すなわち、まことの永遠の神であり、またあり続けるお方が、聖霊の働きによって、おとめマリアの肉と血とから、まことの人間性をおとりになった、ということです」と答えます。マリアの肉と血からまことの人間性をおとりになった。これを教理の言葉で「受肉」と言います。この受肉により、主イエス・キリストは、まことの神であり、まことの人であられます。使徒信条は、「聖霊によりてやどり、おとめマリアより生まれ」と言って、主イエス・キリストの受肉の神秘を告白しています。

 受肉において見つめられているのは、私たち人間の罪にほかなりません。私たちは、造り主なる御神によって極めて良いものとして造られながら、神の御前に罪人となりました。パウロによれば、私たちの体は「死ぬべき体」であり、「死に定められた」存在です(ローマ6:12,7:24)。私たち一人ひとりはもちろん、人間であるということ、人間性そのものが罪にとらえられ、堕落の中に置かれていて、私たち罪人の救いのためには、罪が償われ、私たちの罪深い人間性が贖われることが必要です。しかし、通常の誕生、通常の出生において、罪のない人はおりません。正しい人は一人もおらず、すべてが罪人なのです。いったいどこに、私たち罪人を罪から贖い出すお方がおられるのか。

 この問いに対する神の回答が、御子イエス・キリストの受肉です。神の御子である神が、へりくだっておとめマリアから人間性を受け取り、まことの人となられました。マリアも、もちろん罪人の一人です。けれども、マリアに聖霊がくだり、聖霊の御力に包まれる中で、神の御子はマリアから肉と血をとり、人間として生まれてくださいました。こうして、主イエス・キリストは、まことの神でありながら、罪をのぞいてすべての点で私たちと同じものとなってくださいました。「聖霊によりて宿り、おとめマリアより生まれ」とは、主イエス・キリストが罪なきお方であり、神と私たち人間を仲立ちする仲保者であられるとの信仰の告白です。今や、このお方が贖い主また仲保者として私たちに与えられています。

 私たちの人生は、罪のゆえに労苦が多いものかもしれません。けれども、この贖い主、仲保者であるお方が与えられて、新しくされました。この贖い主、仲保者によって背負われ、罪赦されて歩む幸いが与えられます。私たちはこのお方のゆえに、すべての罪が償われて、神の御前に立つことができます。それゆえ、私たちの人生は、たとえどれほどの労苦があっても、幸いなもの、慰めに満ちたものにほかなりません。

 おとめマリアは、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と言いました。受肉は人の理解を超える神の神秘の御業ですから、マリアを戸惑わせ、苦しませるものだったでしょう。けれども、マリアは、神の御前にへりくだって喜んで自分の身を差し出しました。このマリアのへりくだりと献身は、神の御子のへりくだりへの応答です。永遠の神の御子が人間の肉と血をとり、すべての点で私たちと同じものになってくださいました。そのへりくだりに応えて、マリアは神の御前に自らを低くし、自分を神の御業の器として差し出しました。マリアのように自らを神の御業の器として差し出しすことへと、今、私たちも招かれています。主なる神は、私たちに対しても、私たちの思いを超えて、私たちの経験を超えて、ご自身に仕える器として私たちを整えてくださいます。私たちを用いてご自身の愛の御業を成し遂げてくださいます。私たちも、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」とお応えして、喜んで主に仕えて参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

礼拝に来てみませんか?

鈴蘭台教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

ホームページからでしたらお問い合わせフォームを。お電話なら078-592-6875まで。お電話の場合、一言「ホームページを見たのですが」とお伝えくださると、話が伝わりやすくなります。