日曜朝の礼拝「我は信ず~使徒信条2~」

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我は信ず~使徒信条2~

日付
説教
望月信牧師
口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。(9,10節)ローマの信徒への手紙 10章8節~13節

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 使徒信条は「クレドー」という言葉で始まります。「我は信ず」、「わたしは信じる」という言葉です。この言葉は、信仰の主体、信じる主体が私たち人間であることを言い表しています。信じる、それは私たちが信じるのであり、このわたしが信じるのです。聖書において信仰は神の賜物であり、神から与えられるものです。けれども、なお「我は信ず」であり、私たちのもの、また、このわたし自身のものにほかなりません。

 このことは人間に与えられた大きな幸いを明らかにしています。一方で、私たちは神とは区別される存在です。神と等しい者ではなく、むしろ土の塵に等しい存在なのです。けれども、もう一方で、造り主なる神は御自身にかたどり、御自身に似せて私たちを創造されました。私たちは土の塵に等しいものでありながら、同時に、主なる神と向かい合う者、神の御名を呼ぶ者とされました。何と幸いなことでしょう。神と向かい合う存在であるゆえに、私たちは神を信じて信仰を告白することができます。神への信仰を担い得る存在とされています。これは、すべての被造物の中で人間だけに与えられた大きな特権です。いよいよ大きな喜びをもって「我は信ず」と告白する者でありたいと願うのです。

 さて、信仰は心の問題ではないか、心の内側で信じていればよいのであり、口に出して言い表す必要はないのではないかと思われるかもしれません。けれども、使徒パウロは言いました。「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」(ローマ10:9,10)。ここでは、口で公に言い表すことと、心で信じることが並べられて、「信じる」という一つのことが言い表されています。聖書は、心で信じられることと口で言い表されることを区別していません。心で信じられることは当然口で言い表されるのであり、また口で言い表されたことは当然心で信じられているのです。これは、旧・新約を貫いた聖書の考え方です。

 今、私たちは、心と言葉、心にあることと口で言うことが一致しないことばしばしばであるという時代の中に置かれています。しかし、それは決して真実ではありません。主なる神の御前に心と言葉の区別はありません。まして聖書の神は人間の心の中にのみおられるお方ではなく、私たち人間に向かい合ってくださるお方です。私たちがただ心の中で自問自答すればよいのではなく、神の御前にいかに信じ、いかに信仰を言い表し、いかに生きるのか。全存在をもって主なる神に応えて歩むことが求められます。信じることが告白され、告白されたことが出来事となり、真実となる。それが信仰ということにほかなりません。

 こうして、信仰はごく個人的な決断の事柄です。他の誰にも代わってもらうことのできない、たった一人の決断です。信仰において、人は神の御前に個人的な存在として立ちます。けれども、神と出会うことにおいて、同時に、私たちは人と出会います。救いの恵みを知ることは、私たちが神によって造られ、共同的に生きる者とされていることに気づかされることでもあります。信仰を告白する「我」は、教会という共同体に生きる「我」にほかなりません。ここに、兄弟姉妹と共に使徒信条という一つの言葉によって共に信仰を告白する意義があります。

 私たちは一つ信仰に生きる者とされ、公同の聖徒の交わり、目に見えないキリストの体に結ばれて生かされる者とされています。私たちは、この信仰告白の営みに取り組むことによって、自分自身の信仰を養い育むと同時に教会を建て上げます。信仰の兄弟姉妹と共に「我は信ず」と告白することを大切にして、互いに励まし合いながら歩んで参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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