日曜朝の礼拝「葬りの備え」

日本キリスト改革派 鈴蘭台教会のホームページへ戻る

葬りの備え

日付
説教
望月信牧師
過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。(1~3節)ヨハネによる福音書 12章1節~8節

この説教要約には音声ファイルはありません

 エルサレムに入る前日の土曜日、主イエスはベタニアのマルタとマリアの家に滞在しておられました。この箇所には、そこで行われたマリアの驚くべき行為が書き留められています。マリアが高価なナルドの香油を主イエスの足に注ぎ、自分の髪の毛で香油を足全体に塗り広げて、家全体が香油の香りでいっぱいになるほどだったと言われます。

 この行為には、マリアの主イエスに対する愛が示されています。それも、合理的な計算を越えた愛です。イスカリオテのユダは、注がれた香油には三百デナリオンの価値があると見積もり、もっと有益な用い方があると考えました。彼は不正を行っていたということですから、その穴埋めができるとでも思ったのかもしれません。彼の場合は純粋な気持ちではありませんでした。しかし、誰でも貴重なものを無駄遣いしてはならないと思うでしょう。その点、ナルドの香油を主イエスの足に注ぐとは、確かに無駄遣いにも思える行為でありました。しかし、このことを通して福音書は私たちに問いかけています。あなたも、お金に換算して考えて、これは合理的な用い方である、いや無駄であると計算するのだろうか。

 聖書は、その点で、愛することの大切な性質を見落としてはならないと指摘します。愛することは、合理的な計算を越えて行動することへと私たちを導くからです。私たちも、自分の子どもが病気になると、学費だ老後のための貯蓄だなどという計算は吹っ飛んで、子どもの治療のためにお金を惜しまないでしょう。自分の愛するところに計算を越えてすべてをつぎ込んでしまう。まったくすべて身を乗り出してしまうのです。マリアは、そのような主イエスへの愛に突き動かされて香油を注ぎました。聖書は、そのような愛こそがすべてを完成させるのだと教えます。

 このマリアの行為を喜ばれ、主イエスはおっしゃいました。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから」。これは、マリアの行為が主イエス・キリストの葬りの記念となること、すなわち十字架を指し示す行為であることを明らかにしています。実のところ、「ナルドの香油」の「香油」も、通常「没薬」と翻訳される言葉が用いられています。没薬は遺体に塗られる香油にほかなりません。ナルドの香油の行為は、マリア自身の思いを超えて、十字架を指し示す行為として、主イエスによって受け取られました。

 すなわち、主イエス・キリストも、このマリアのように、愛に突き動かされるままに生きてくださり、それゆえ、十字架につけられて死んでくださったのです。キリストの十字架も、愛によってこそ成し遂げられたわざなのです。私たち罪人を愛して、私たちを見捨てない神の愛、その大きな愛に突き動かされて、ご自身の命をささげてくださった。父なる御神においても、ご自身の独り子を見捨てるほどにもったいない、心痛むことはほかにないでしょう。主なる神は、まさに計算を越えた神の愛、罪人を愛し抜く愛を貫いて、ご自身の独り子をお与えくださいました。

 マリアのナルドの香油は、その神の愛に対する感謝と献身のしるしとしての献げ物にほかなりません。主イエスは、その献げ物を大切に受け取って、ご自身の葬りの記念としてくださいました。信仰とは器のようなものだと言われますが、その器は神の愛によって満たされ、また、神に感謝をあらわす私たちの愛によっても満たされます。互いに器を満たしあうことによって満たされ、完成されるのです。主なる神は、そのように、私たちの献げ物を喜んで受け取って、私たちの思いを超えてお用いくださいます。私たちは、このような大きな大きな神の愛によって養われ、育まれて、この地上を生き、死に、そして、死で終わることのないとこしえの命に生かされるのです。何と幸いなことでしょうか。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

礼拝に来てみませんか?

鈴蘭台教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

ホームページからでしたらお問い合わせフォームを。お電話なら078-592-6875まで。お電話の場合、一言「ホームページを見たのですが」とお伝えくださると、話が伝わりやすくなります。