日曜朝の礼拝「あなたの隣人は誰か」

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あなたの隣人は誰か

日付
説教
望月信牧師
すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。(25~29節)ルカによる福音書 10章25節~37節

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 ある律法の専門家と主イエスの対話が書き留められています。「何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」との問いかけに答えて、主イエスは「律法には何と書いてあるか」と尋ねました。彼は、「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります」と答えました。申命記6章4、5節とレビ記19章18節を組み合わせた文章です。彼は、愛について教える二つの御言葉を一つの御言葉のようにして唱えていました。ここで明らかにされていることは、この律法の専門家が、永遠の命を受け継ぐためには愛に生きることが必要とされていると考えていたことです。神を愛することと隣人を愛すること。この二つで一つの愛に生きることこそが、永遠の命に至る道である。

 主イエスは「あなたの答えは正しい」とおっしゃいました。それは、まさに律法は愛することを教えているからです。神を愛することと隣人を愛すること、それこそが律法全体の中心です。そして、続けて主イエスはおっしゃいました。「それを実行しなさい。そうすれば命を得られる」。あなたはきちんと律法の教えをわきまえている。知っているではないか。それならば、その唱えていることに忠実に生きたらよいであろう。

 この突き放すような言葉によって、彼の心は突き動かされました。主イエスの言葉が突き刺さり、うろたえて、彼は思わず言いました。「では、わたしの隣人とは誰ですか」。「自分を正当化しようとして」とあります。自分を正当化し、自己弁護する思いがあるという指摘です。おそらく彼には律法の愛の教え、とりわけ隣人愛の教えの前で心痛めるところがあり、そのため思わずうろたえて、自己弁護しようとしてしまったのでしょう。これは、彼が愛することに真摯に取り組もうとしていたことを示しています。真剣に愛そうとするからこそ、愛することの難しさという現実を前にして、彼は自分を正当化し、自己弁護せざるを得なかったのです。

 主イエスは、この律法の専門家のことを喜ばれ、ですから、彼に答えて、このあと、善いサマリア人のたとえを語られのだと思われます。彼は、律法の愛の教えを学び、それを形式的に、形だけ守ることでよしとしませんでした。神の御言葉を学び、心から御言葉に従うことを願ったのです。それゆえ、隣人とは誰であろうか、隣人愛はどこまで広がるのだろうか。そう思い悩み、戸惑っていました。ですから、「正しい答えだ。それを実行しなさい」。この主イエスの言葉にうろたえました。

 人間にとって、この、うろたえることが大切です。このうろたえが私たちの人生を造り変えます。新しくします。御言葉によって心を刺し貫かれて、うろたえることによって、私たちは新しくされます。御言葉に突き刺され、うろたえ、戸惑う。その戸惑いを知って、戸惑いを捨て去らない。そこに、神の御言葉を知り、神の御言葉の前に立ち続ける姿勢があります。そうしてこそ、私たちは、絶えず悔い改めることができます。絶えず新しくされて、神の御前に生きることができます。

 聖書は愛することを教えます。愛することの尊さを否定する人は誰もいないでしょう。けれども、誰もが愛することにともなう困難を知っています。愛する範囲を限定しなければ真実に愛することはできない。範囲を限定して、自分を正当化せざるを得ない。それは今日の信仰者も同じです。しかし、そのように戸惑い、うろたえながらも、主イエス・キリストの前に立ち続ける。そこに私たちの幸いがあります。それは、主イエス・キリストこそがまことの愛を私たちに与えてくださるお方だからです。キリストの御言葉、神の御言葉によって日ごとに新しくされて、私たちは愛に生きる者として整えられます。これは何と幸いなことでしょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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