日曜朝の礼拝「主の弟子として生きる」

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主の弟子として生きる

日付
説教
望月信牧師
一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」(57,58節)ルカによる福音書 9章57節~62節

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 「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい」。「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」。葬儀も家族への挨拶も拒むようなことを主イエスはなぜおっしゃるのだろうか。そんな疑問が心に浮かぶ主イエスのお言葉です。主イエスは家族を軽んじるようなことをお求めになったのではありません。主イエスが求めたことは、神の国を言い広めること、神の国にふさわしく生きることです。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)と言われる通りです。主イエスはエルサレムに向かう決意を固められました(51節)。エルサレムから目を離さない。主イエスは十字架の御業を見つめて歩まれます。そのように、神の国の福音から目を離さない歩みが私たちに求められています。

 「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」。「人の子」とは主イエスご自身のことです。「枕する所もない」とは身を横たえて休む場所もないということですが、文字どおり寝起きする場所がないということではありません。一つには、地上には主イエスを受け入れるところがないということです。それは、ベツレヘムに生まれ、飼い葉桶に寝かせられたことに始まりました。福音を宣べ伝え始めると、故郷のナザレでは崖から突き落とされそうになりました。人びとが主イエスのもとに集まることもありましたが、その多くは目に見える奇跡やいやしを求めるばかりであり、まことの救い主としての主イエスを求める人は多くありませんでした。それゆえ、主イエスがご自身のことを明らかになさるにつれて、人々の心は主イエスから離れていきました。そうして最終的に拒否され捨てられた、それが十字架でした。

 もう一つ、主イエスの十字架は御父からの拒絶でもあります。主イエスは、神から離れて死すべき者となっている私たちの身代わりとなってくださいました。すなわち、死すべき者の味わうべき神の裁きを味わい尽くして、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)と叫んで死なれました。御父から引き離されて、断罪されたのです。主イエスが、その苦しみを引き受けて地上の生涯を歩み抜かれた、それはエルサレムの十字架を見つめておられたからであり、罪人である私たちを愛して、私たちを見つめてくださっていたからです。主イエスは私たちを見つめて、枕する所もない生涯を耐え忍ばれました。

 「人の子には枕する所もない」。これは真実には、アダムとエバ以来、人の子として生まれ来るすべての人が枕する所のない有様なのです。人には、たとえ住む家があり、毎日の必要はとりあえず満たされていたとしても、決して幸せでない、平安でない、ということがあるのです。アウグスティヌスは言いました。「人は生けるまことの神のふところに安らぐまで、真実の平安を見いだすことはない」。真実の父のみもとから飛び出してしまった私たちは、もはやさすらいの身であり、枕するところがない。再び神のみもとに安らぐまで、真実の平安はない。

 主イエスは、その私たちと同じ境遇に身を置き、私たちの重荷を背負い、十字架につけられてくださいました。それゆえ、御父は私たちを赦して、ご自分のものとしてくださいます。主イエスのゆえに御父に迎え入れられ、神の子とされて、私たちは真実の平安に安らぐことができるのです。主の弟子として生きる道は厳しく険しいものです。けれども、喜びと希望に満ちた道にほかなりません。罪をも死をも乗り越える道であり、とこしえの命をいただいて、神のみもとにある平安に憩うことができる道なのです。私たちも、神の国をまっすぐに見つめて、与えられた人生を兄弟姉妹方と共に懸命に走り抜こうではありませんか。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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