日曜朝の礼拝「平安と希望に生きる」

日本キリスト改革派 鈴蘭台教会のホームページへ戻る

平安と希望に生きる

日付
説教
望月信牧師
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
……
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。(1~3、9~12節)
マタイによる福音書 2章1節~12節

この説教要約には音声ファイルはありません

 主イエスがお生まれになったとき、東方から占星術の学者たちが駆けつけました。ユダヤ人の王のお生まれを告げる星を見て、砂漠を越える長い旅をしてやって来たのであり、それなりの備えが必要だったでしょう。彼らはおそらくある程度身辺を整理して、生涯をかけてやってきたものと思われます。そして、ユダヤ人の王がユダヤのベツレヘムに生まれると聖書に書いてあると、ヘロデ王から聞いて、彼らはベツレヘムに向かいます。ベツレヘムに着くと、彼らは幼子主イエスを捜し当てて、幼子主イエスを拝み、贈り物をささげます。こうして彼らは、ひれ伏して幼子を拝み、献げ物をする。その一事だけをして、別の道を通って自分たちの国へ帰ります。彼らは聖書の表舞台から退場していくのです。

 聖書は、ここに私たち人間の真実の人生がある、と語ります。東方の学者たちが聖書の中でこの一箇所だけに登場して、退場したように、この一事ができれば、その人生は祝福豊かな、神の御前に完成された人生なのです。それが聖書の教える私たちの人生です。

 東方の学者たちは、ひれ伏して幼子を拝む、その一事のために、自分の人生をかけました。占星術とはただの星占いではありません。時を知り、季節を知り、種を蒔く時期を知り、収穫する時期を知る、ですから、占星術の学者とは王から助言を求められる立場だったのであり、地位も名誉もある人々でした。だからこそ、彼らは、黄金、乳香、没薬という、当時として一級品の、たいへん高価な贈り物を用意することができました。おそらく、彼らは自分たちの財産をすべて整理して用意したのではないか。彼らは、そうして自分たちの人生をかけて幼子の前にひれ伏し、贈り物をささげて、自分たちの人生そのものをささげました。

 「クリスマス」は、「キリスト」と、礼拝を意味する「マス」という言葉から成り立っています。「キリスト礼拝」です。東方の学者たちは、主イエス・キリストを礼拝することには私たちの人生をかけるだけの価値が確かにあるのだと、私たちに証ししています。それに応えて、私たちも、主イエス・キリストを礼拝することに生涯をささげたいと願うのです。

 ひれ伏して幼子主イエスを拝む人々がいる一方で、主イエスの誕生を聞いて不安を抱く人々がおりました。ヘロデ王であり、エルサレムの人々です。ヘロデ王は、自分の王位が脅かされると考えて不安を抱きました。エルサレムの人々は、エルサレムの平穏と繁栄が揺さぶられるのではないかと考えて、不安を抱いたのでしょう。この点で、心に留めておかなければなりません。もしこの世的に平穏であること、また経済的な安定と繁栄ということに心を留めて生きているならば、尊い救い主が来られても、神の遣わす真実の救い主をお迎えできないことが起こる、ということです。ヘロデ王や、ベツレヘムに救い主がお生まれになると書いてあると見つけ出した祭司長たち、律法学者たちは、ベツレヘムに向かわなかったのです。彼らは、救い主と出会うことができませんでした。私たちも、もし地上のことに目を向けるばかりであるならば、真実の救い主である主イエス・キリストを見失うことが起こりかねません。

 主イエス・キリストは、私たち罪人を罪の縄目から解き放つために与えられた、まことの救い主です。このお方は十字架につけられ、死んで私たちの罪を滅ぼし、三日目によみがえって私たちに復活の命、とこしえの命を与えてくださったお方にほかなりません。私たちは、この主イエス・キリストにこそ、まことの平和があり、まことの希望があると信じ、主イエス・キリストを真実の平和と希望の源として、主イエス・キリストを礼拝することに固く立って歩みます。この主イエス・キリストの御前に集められ、礼拝をささげる者とされているとは、何と幸いなことでしょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

礼拝に来てみませんか?

鈴蘭台教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

ホームページからでしたらお問い合わせフォームを。お電話なら078-592-6875まで。お電話の場合、一言「ホームページを見たのですが」とお伝えくださると、話が伝わりやすくなります。