日曜朝の礼拝「聖霊によって」

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聖霊によって

日付
説教
望月信牧師
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。

このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(18,19,22,23節)

マタイによる福音書 1章18節~25節

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 「神は我々と共におられる」。この言葉が与えられたとき、ヨセフは大きな試練の中に置かれていました。ヨセフはマリアと婚約していて、二人は世間的にはすでに夫婦と認められる間柄でした。しかし、このとき、マリアが身ごもり、おなかが大きくなってきていました。ヨセフはたいへん驚き、戸惑ったでしょう。ヨセフには身に覚えがなく、通常ならば姦淫が疑われる事態だったからです。ヨセフはマリアから事情を聞いたでしょう。すると、それは、神の御使いから「あなたは身ごもって男の子を産む」、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」と告げられて身ごもったという、驚くべきことでした(ルカ1:26-38)。

 しかし、聖霊によって身ごもるとは人間の理解を超えた途方もないことだと、マリア自身も思っていたのではないでしょうか。マリアの言葉のほか、何も裏付けはありません。それだけに、愛するヨセフには自分のことを信じてもらいたいと願ったでしょう。逆にヨセフは、マリアが本当のことを言っていないと思ったのではないでしょうか。別に愛する人ができたにせよ、事故のようなことにせよ、それを打ち明けてくれればよい。どうして打ち明けてくれないのか。ヨセフは、自分がマリアから信頼されていないから、本当のことを話してくれないのだろうと考えたのではないでしょうか。こうして、ヨセフはマリアを愛していながら、しかし、「ひそかに縁を切ろうと決心し」ました。「夫ヨセフは正しい人であった」と言われる「正しさ」は憐れみ深いということでもあります。ですから、マリアを傷つけないで別れる方法を考えようとしました。ここには、互いの愛がすれ違うさまがあります。互いに信じられることを求めながら、思いがすれ違ってしまい、どちらも孤独に陥っているのです。

 「神は我々と共におられる」。これは、そのヨセフを励ますために与えられた神の御言葉です。主なる神は御使いを遣わして夢を用いてヨセフに語りかけました。その内容はすでにマリアから聞いていたことであり、信じるに値しないと思われていたものでした。しかし、そのことを通して、ヨセフは聞き取りました。一つには、「マリアを信頼しなさい」と言われたのだと。また、もう一つには、これは神の御業なのだということです。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのであり、神が御手を伸ばして働きたもうことがあるのです。「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる』。この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」。夢から覚めたヨセフの心に、このイザヤ書の御言葉が刻み込まれていました。ヨセフはこうして、神が共におられるゆえにマリアの身の上に起こったことであると信じて、マリアを妻として迎え入れました。あらためて、互いを信頼し合う夫婦とされたのです。

 私たちは、荒れ狂う荒波の中で、人を信じられなくなることがあります。自分の醜さを思い知らされて、自分を信じられなくなることもあります。そのところで、私たちが人を信じることができる、また自分を信じることができる、それは神の御業であり、聖霊の御業なのです。私たちを愛して、私たちを信じ続けてくださるお方、生けるまことの御神お一人が、私たちを信じることに立たせてくださいます。「神は我々と共におられる」。このことを信じるゆえに、私たちは、たとえ傷つけられることがあっても、人を受け入れ、信じることができます。主なる神は、この二人の物語を通して、私たちの思いを超えた神の御計画、神の御手の御業があることを認めることへと私たちを招き、人を信じることに固く立たせます。私たちは、罪の悲惨を味わう中で、人を信じる者とされて、神の栄光の器として用いられます。「神は我々と共におられる」。このお方が共にいてくださる人生を生きることこそ、キリスト者の幸いです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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