日曜朝の礼拝「へりくだりの救い主」

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へりくだりの救い主

日付
説教
望月信牧師
アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを……
……ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。(1,2,16,17節)
マタイによる福音書 1章1節~17節

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 マタイ福音書は、その冒頭でユダヤ人によく知られていたアブラハムとダビデの系図を用いて主イエス・キリストを紹介しました。十字架につけられた主イエスこそまことの救い主であると、告げ知らせたのです。

 この系図には少し手が加えられています。一つには、書き加えられたところがあります。たとえば5節の「サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを」です。ラハブとルツは異邦人、外国人です。外国人でありながらイスラエルの民に加えられたのであり、すでに旧約時代から主なる神が外国人にも神の民に加わる扉を開いておられたしるしと言うべき二人です。これは、今の私たちにするならば素晴らしいと思われる事柄ですが、ダビデ家の汚点として数えられる事柄でした。イスラエル王家に、純潔ではない、外国人の血が入っているということだったからです。6節後半には「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」とあります。これはダビデの姦淫の罪、不倫の罪を指摘している文章です。ダビデは大きな過ちを犯したのであり、これもダビデ家の汚点にほかなりません。こうして、王家の系図ならば、通常、隠されることが、この系図においては赤裸々に明らかにされています。

 もう一つには、この系図には削られているところがあります。ダビデの子孫でありながら、この系図から省かれている人が何人かいるのです。17節によると、イスラエルの歴史は、アブラハムからダビデ王まで、ダビデ王からバビロン捕囚まで、バビロン捕囚からキリストまでの三つに分けることができます。この系図は、その三つがそれぞれ十四代になるように、幾人かを省いて人数調整をしています。十四は七の倍数であり、完全であること、満ち満ちていることを表します。この七の倍数である十四が三つ重ねられて、すなわち、イスラエルの歴史は、神によって祝福された完全で満ち満ちた歴史なのだと言いたいのです。

 しかし、この系図はダビデ家の汚点を示しているではないか、ダビデの罪を指摘しているではないか。その通り、この系図は、一方ではイスラエルの歴史が罪の歴史であることを示しています。しかしもう一方で、ダビデ家の汚点にも関わらず、イスラエルの民の罪にも関わらず、イスラエルの民の歴史は満ち満ちた完全なものなのです。それは主なる神がそのように御覧になっているからです。主なる神は、欠けと破れのゆえに捨て去るのではなく、御自身の愛と憐れみのゆえに良いものとして受け止め、満ち満ちた完全なものとして愛してくださるお方です。

 そのために「マリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれに」なりました。この系図は主イエス・キリストと結び合わせられ、それゆえ罪の歴史のすべてがキリストの十字架の贖いに結び合わせられています。主イエス・キリストは、罪とけがれのあるイスラエルの民を背負うために遣わされ、地上に生まれ、十字架につけられてくださった。マタイ福音書は、この系図を通して、そのことを知ってほしいと語っています。

 イスラエルの民だけではありません。この罪の歴史は人類の歴史、人間の歴史そのものです。この点で、ラハブとルツの名前が刻み込まれていることが大切です。神の民の系図は、このラハブとルツの名前の故にすべての異邦人に開かれており、全人類の系図と言うべきものです。すべての人にとって、主イエス・キリストに結び合わせられることが決定的なのです。この系図に結び合わせられ、「メシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」と言って結ばれる。そのようにして、今を生きる私たち、私たち自身の歴史も主イエス・キリストに背負われるものとされている、そこに信仰者の幸いがあります。私たちは、主イエス・キリストに背負われて、主の平安のもとで神の民として歩むことができます。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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