日曜朝の礼拝「戸が閉ざされる時」

日本キリスト改革派 鈴蘭台教会のホームページへ戻る

戸が閉ざされる時

日付
説教
望月信牧師
 ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った。清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じられたとおりに、雄と雌であった。
 七日が過ぎて、洪水が地上に起こった。ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。雨が四十日四十夜地上に降り続いたが、まさにこの日、ノアも、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、この三人の息子の嫁たちも、箱舟に入った。彼らと共にそれぞれの獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這うもの、それぞれの鳥、小鳥や翼のあるものすべて、命の霊をもつ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った。神が命じられたとおりに、すべて肉なるものの雄と雌とが来た。主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた。(6~16節)
創世記 7章1節~24節

この説教要約には音声ファイルはありません

 清い動物が七つがいずつ、清くない動物が一つがいずつと言われます。8章で、箱舟から出たノアは、清い動物と鳥を取って焼き尽くす献げ物としてささげます。そのために清い動物は多く集められ、清くない動物を含めてすべての動物が生き延びるために一つがいずつ箱舟に入るものとされたのでしょう。主なる神は、第一に、すべて命あるものが新しい大地で生き続けるように保ってくださいました。清くないと言われるものを含めて、すべての命が保たれます。すなわち、滅ぼすべきは命ではなく、罪なのです。第二に、主なる神は、礼拝をお求めになっておられます。神の前に堕落した大地は過ぎ去り、新しい大地では、神の御名がほめたたえられ、神が礼拝されるのです。洪水は、神を礼拝する民を召し出すことに目的がある。そう申し上げなければなりません。

 「七日の後」とあり、七日間で箱舟に入るよう命じられました。しかし、まだ雨は降っていません。ですから、迷いがあったのではないか。また、食料も集めなければならず、とても慌ただしかったでしょう。おそらく、この七日間は、信仰が試みられ、揺さぶられる期間だったのではないでしょうか。そうして七日目、ギリギリで箱舟に入るようだったかもしれません。そして、動物はどうなったか。「神が命じられたとおりに、すべて肉なるものの雄と雌とが来た」。ノアたちが集めたのではなく、動物自身が来たのです。おそらく、ノアたちは、箱舟に入る動物たちを見て神の御業に驚き、神を信頼する信仰を強くされたでしょう。

 雨が降り始めました。まだ誰も、この雨がどれほど続くのか、通り雨なのか、明日まで続く雨なのか、知りません。これが洪水の雨であるとは、ただ神の御言葉からしか分かりません。こうして、箱舟に入ること、そして箱舟の中での生活も、神を礼拝することにほかなりません。神を依り頼んで、その御言葉を信じることに堅く立つほか、自分たちの根拠はありません。これは信仰共同体の営みなのです。周りの人々は愚かなことだと嘲ったでしょう。そんなに長く雨が降るわけがないと言ったかもしれません。しかし、やがてすべてが明らかにされます。雨が降り止まないとなって、多くの人々が箱舟に来たでしょう。彼らは箱舟を造るノアたちを見ていました。洪水によって大地が滅ぼされることも聞いていました。けれども、聞く耳を持っていませんでした。実際に洪水の危険が迫った時には、すでに入るべき時は過ぎ去っていたのです。

 「主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた」。これは物理的な意味だけではなく、主なる神の御手によって閉じられているということです。一つには、終わりの時が来たならば、戸は閉ざされてしまいます。そして、閉ざされるならば、そこにもぐり込むことは、何人たりともできません。戸が開かれている間にそこに入らなければなりません。すなわち、神の御言葉、福音は、語られている間に聞かれ、信じられなければなりません。今も、終わりの時が迫っています。その時を逃してはなりません。

 もう一つには、主なる神の御手は守りの御手にほかなりません。箱舟は頑丈に造られたでしょう。しかし、この洪水は神の裁きとしての洪水であり、地上のどれほど頑丈な舟であっても、この洪水に耐えることはできません。また、ノアとその家族も罪人であることには変わりありません。罪人が神の裁きに耐えうるのは、ただ、その裁く神ご自身によって守られることのほか、ありえません。主なる神ご自身が、ノアたち、神を畏れ敬う信仰共同体を、洪水から、嵐の荒波から守ってくださいます。主なる神を信じる者にとって、神の御手は守りの御手にほかなりません。そして、神ご自身の守りによって、新天新地へと招き入れられるのです。ここに、信仰共同体に属する幸いがあり、祝福があります。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

礼拝に来てみませんか?

鈴蘭台教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

ホームページからでしたらお問い合わせフォームを。お電話なら078-592-6875まで。お電話の場合、一言「ホームページを見たのですが」とお伝えくださると、話が伝わりやすくなります。