日曜朝の礼拝「病のいやしも罪の赦しも」

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病のいやしも罪の赦しも

日付
説教
望月信牧師
イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。ところが、律法学者の中に、「この男は神を冒涜している」と思う者がいた。イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。その人は起き上がり、家に帰って行った。群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。マタイによる福音書 9章1節~8節

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 中風の人が主イエスの前に連れて来られました。自分では自由に動くことができないため、家族や友人、彼の周りの人たちが、彼を担架に寝かせたような仕方で、主イエスのところに連れて来たのです。

 「その人たちの信仰を見て」とあります。「その人たちの信仰」とは、ひとつには中風の人自身の信仰です。自分に主イエスの前に出る資格があるだろうか、何か代価が必要だろうかなどと思い悩むのではなく、ありのままの姿で主イエスの前に立とうとしました。主イエスの前に立つとは、自分には何の誇るところもないことを認めて、空っぽの手で立つのです。そのすべてを依り頼む姿が主なる神に喜ばれます。

 もうひとつには中風の男を連れて来た仲間たちの信仰です。彼らは、中風の男が直ることを期待して、あきらめることなく熱心に祈り、実際に行動したのです。執り成して行動する信仰です。また、まだ見ぬことを必ず成る、成し遂げられると信じる信仰です。主イエスは、このような信仰の姿を喜ばれます。信仰とは、見ないで信じること、まだ起こっていないことを必ず成ると信じることです。

 続いて主イエスは、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」とおっしゃいました。また、律法学者が心の内に「この男は神を冒とくしている」と思ったことをきっかけにして、「『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか」と問いかけられました。これは単に簡単か難しいかということではなく、どちらがより根本的なことかを問う言葉です。その点で、私たち人間にとって罪の赦しが決定的に大切だと申し上げなければなりません。

 人は病気になって長く苦しむと、どうして自分は病気になったのだろうか、あのことがいけなかったのか、何かの刑罰なのかと考えるものです。この病気にどんな意味があるのかとも考えるでしょう。また、家族や周りの世話になることが必要で、自分を責めることになりがちです。病そのものも苦しみですが、それに増す苦しみがあると言わなければなりません。この中風の人も、そのような苦しみを負っていたでしょう。「あなたの罪は赦される(赦されている)」。この赦しの宣言は、その中風の人に対する励ましの言葉です。自分を責めなくてもよい。人の世話にならなければならないことで苦しむ必要はない。人間とは、そもそも互いに支え合って生きていくものなのである。まして弱さのときにはなおさらではないか。主イエスは、そう言って、彼を励まされたのです。

 こう励まされて、人は生きていく力と勇気を与えられるものでしょう。「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と命じられると、中風の人はたちまち起き上がって、家に帰ることができました。それは、もちろんいやされたのでしょうが、たとえ病を抱えていたとしても起き上がることができる、ということでもあります。主イエス・キリストに結ばれて、神の御前に健やかにされて生きていくことが始まるのです。主イエス・キリストは、この罪の赦しの実現のために、ご自身がまず私たちの罪を引き受けて、十字架につけられてくださったお方なのです。

 中風の人は、病をいやされ、罪をも赦されて、思っていた以上の、はるかに大きな恵みを与えられました。神から与えられる恵み、救いの恵みは、このようなものにほかなりません。私たちも、自分の抱えている苦しみがあり、その解決を求めて聖書の御言葉に聞こうとします。それでよい、そして自分の思いをはるかに超えた大きな救いの恵みを与えられます。そのときに、主イエスはおっしゃいます。「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」。この御声にしっかり耳を傾けるところに、神の御前に起き上がって生きる、新しい人生の始まりがあります。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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