日曜朝の礼拝「食べなさい、飲みなさい」

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食べなさい、飲みなさい

日付
説教
望月信牧師
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。(26~28節)マタイによる福音書 26章26節~30節

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 十字架につけられる前日、主イエスは弟子たちと共に過越の食事をされました。「最後の晩餐」と呼ばれる食事です。その食事の中で、今日、私たちが教会で「聖餐式」「主の晩餐」と呼ぶ、主イエスを記念する食事が定められました。主イエスは、パンを取り、賛美の祈りを唱えてそれを裂き、弟子たちに与えて言われます。「取って食べなさい」。続いて、杯を取り、感謝の祈りを唱えて弟子たちに渡して言われます。「飲みなさい」。こうして、主イエスは、ご自身の死を記念してパンを食べ、杯から飲むよう、弟子たちにお命じになりました。この新しい過越の食事を、今日の私たちは、聖餐式として大切に守り行います。

 このマタイ福音書に書き留められる御言葉には、二つの大きな特徴があります。一つは、「これは、罪が赦されるように」という言葉です。これは、主イエスがご自身の死を明確に私たちの罪の赦しのためだと自覚しておられたことを表しています。主イエスは十字架につけられましたが、真実には神の御前に罪のないお方です。そのお方が、罪に定められて、十字架につけられる。それは、真実には、神の御前に私たちの罪を背負われたからです。私たち、多くの罪人の罪が赦されるために、肉を引き裂かれ、血を流してくださった。主イエスこそ、私たちの罪の赦しのために、御父から与えられた、神の小羊にほかなりません。私たちは、このお方の十字架によって、神の御前に罪を赦されています。

 もう一つは、「取って食べなさい」、また「皆、この杯から飲みなさい」と、食べること飲むことがはっきり命令形で語られることです。「もし、よければ食べてください」「あなたが希望するならば飲んでください」というような、私たちの自由な選択にまかせるような言葉ではありません。主イエスの言葉、主の晩餐にあずかるよう、私たちを招く言葉は、たいへん明確な命令の言葉、「食べなさい」「飲みなさい」なのです。もちろん、それは、主イエスが何か高圧的に、強制的に私たちを従わせるというのではありません。

 時おり、自分が聖餐式にあずかることはふさわしいだろうか、という声を耳にします。私たちは、自分の過ちの大きさ、罪の深さに気づかせられ、自分の惨めさを味わったとき、主の御体と血潮にふさわしくないと思い、辞退すべきではないかと思うのです。そうして、パンと杯、主の肉と血に手を伸ばせない自分がいる。そのような私たちに対して、罪の赦しのためにご自身を差し出す主イエスは、「もし、よければ」とはおっしゃらない、「取りなさい」とおっしゃる、「食べなさい」「飲みなさい」と命じてくださるのです。「食べなさい」「飲みなさい」とは、私たちを憐れんでくださる、主イエスの愛、神の愛のゆえにほかなりません。主イエスは、真実に、「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(ヨハネ13:1)ゆえに、「食べなさい」「飲みなさい」と言って、私たちをご自身の罪の赦しの恵みへと招いてくださるのです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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