日曜朝の礼拝「キリストがあがめられるように」

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キリストがあがめられるように

日付
説教
望月信牧師
だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。フィリピの信徒への手紙 1章18節~20節

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 使徒パウロは、不純な動機からキリストを宣べ伝える者たちがいると指摘しますが、「わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます」と言いました。パウロのこの喜びの理由はもう一つあります。19節に「というのは」と続いて、「あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです」とあり、こちらも喜びの理由です。ここでは喜ぶことを要にして、「キリストが告げ知らされる」ことと「わたしの救い」が結び合わされています。

 また、20節の「切に願い、希望しています」は、「わたしの身によってキリストが公然とあがめられる」ことを受けるだけでなく、19節の「このことがわたしの救いになる」ということも受けている文章です。そうして、ここでも、「わたしの救い」ということと「キリストが公然とあがめられる」ということが結び合わせられています。わたしの救いとキリストがあがめられること、これら二つが切り離すことのできない一つのこととして、切に願い、希望されています。

 パウロは、「わたし」の救いから切り離された仕方でキリストが告げ知らされ、あがめられることを考えていません。「わたしの身によって」キリストがあがめられるのであり、ですから、自分のことを隠さず明らかにして、そこでこそキリストが告げ知らされますし、あがめられます。

 パウロは「このことがわたしの救いになる」と言いました。これは、牢獄から助け出されることではありません。「あなたがたの祈り」とはパウロを心配する信仰の仲間たちの祈り、「イエス・キリストの霊」は聖霊であり、仲間の祈りと聖霊の働きによって、たとえ獄中のわたしを苦しめようとする人びとがいようとも、それは救いとなると言います。これは、兄弟姉妹の祈りに支えられ、聖霊に助けられて、信仰の成長が与えられることを意味しています。ですから、苦しめられることがあっても喜びますし、困難や苦しみを隠そうとはしません。むしろ自分の苦しみ、抱えている問題をありのままに告白して、パウロはしばしば「わたしのために祈ってほしい」と言いました。そこには、主なる神を信頼し、仲間の信仰者を信頼して、ありのままの姿で生きる信仰があります。

 ですから、わたしの救いを願うとは、わたしが大きくなること、わたしの栄光を求めることではありません。自分は神の御前に小さく、力ない者なのです。そして、「あがめる」という言葉のもともとの意味は大きくすることで、キリストがあがめられるとはキリストが大きくなるということです。わたしは小さくてよい、ありのままでよい。そのわたしのありのままの姿に神が働いて、わたしの身によってキリストが大きくされる。パウロは、そのことを切に願い、希望します。ですから、どんなことをも恥と思わず、パウロはありのままで神の御前に立とうとします。パウロは、弱さを通して私たちに働いて、私たちに救いの確信と喜びを増し加えてくださる主なる神に信頼して、こう祈り求めるのです。

 神の栄光を表すということで、与えられた賜物を用いてささげることがあるでしょう。しかし、もう一方で、神はイエス・キリストの神であり、十字架によって私たちを罪から贖い出してくださったお方です。ですから、神の栄光は十字架において表されます。私たちは重荷をおろしてよい。立派さが求められるのではありません。自らの欠けと弱さを知り、困難を抱えて苦しんでいることを兄弟姉妹と分かち合い、祈ってくださいと求める、そういうことでも表されます。ありのままを分かち合うとき、その交わりに聖霊が働いて、私たちを支え力づけ、必要な助けを神ご自身が実現してくださるのです。主なる神に依り頼み、重荷を分かち合い、互いのことを祈りにおぼえて、信仰の歩みを共に重ねて参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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