日曜朝の礼拝「愛の心で真実から」

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愛の心で真実から

日付
説教
望月信牧師
キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。フィリピの信徒への手紙 1章15節~18節

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 人が何かに真剣に取り組む原動力は、どこから出てくるのでしょうか。料理ならば、おいしい料理を食べてほしいと願うからでしょう。あるいはまた、料理コンテストなどでは勝ちたい気持ちが原動力になるでしょう。そして、賞を取った人が妬ましく感じられて、そういう気持ちで取り組むならば、大切なことを見失うことになってしまうのかもしれません。

 牢獄に捕らえられていたことが妨げにならず、かえって福音の前進に役立った。そう思い、パウロは福音が宣べ伝えられていることを喜んでいました。しかし、事柄はそう簡単ではありませんでした。それは福音を宣べ伝える動機が二種類あるということです。一つは「善意で」「愛の動機から」です。キリストに仕えて福音を宣べ伝えるのですが、とりわけ牢獄にいるパウロの力になりたいと思って福音を宣べ伝えるということです。そこには、自分が称賛を得ようとか自分の力を示したいとか、そういう思いはなく、信仰者が起こされたときには、主への感謝と喜びを共にします。そのような信仰の交わりを育むものでありたいと思います。

 その一方で、「ねたみと争いの念にかられて」キリストを宣べ伝えている者たちがいると言われます。おそらく大きな働きを果たしていたパウロのことをねたましく思う人たちがいたのでしょう。パウロがいない今がチャンスと、熱心に福音を宣べ伝えて、自分たちの勢力を増やそうとしているかのようである。信仰者であれど、確かにねたみや争い、利己心、党派心から無縁ではありません。「自分の利益を求めて」ともあり、何かの利益や人からの称賛を求めたのかもしれません。

 パウロはいったいどう考えるのか。「とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます、これからも喜びます」。こう言ってパウロは喜びます。具体的には彼らをそのままにします。とがめたり、責め立てたりするのではない。大切なことは、キリストが正しく告げ知らされていることだからです。パウロは、そこに潜んでいる個人的な思い、パウロに対するねたみであったり、憎しみであったり、争いの気持ちではなく、福音そのものを見ています。たとえ自分が大切にされなくてもよい、キリストが第一とされればよい。

 パウロは、キリスト者を迫害していた自らの姿を振り返っていたでしょう。自分も他者に対して醜い思いをもつ、罪人の一人にほかならない。ところが不思議なことに、キリストに捕らえられて信仰者とされ、使徒の一人とされたのです。それは、ただ神の憐れみによって用いられているに過ぎません。また、福音の力への信頼があったでしょう。キリストが正しく告げ知らされているならば、キリストの福音の力そのものによって、人間の醜さを乗り越えて福音は前進する。ですから、たとえ不純な動機からだったとしても、それは主なる神に委ねればよいのです。それをどうなさるかは主なる神の領域です。自分と彼らとの関係ではありません。主イエス・キリストが欠けの多いこの自分を受け入れ、用いてくださっている、そのように主なる神が彼らを受け入れ、用いておられるのならば、あとは主なる神の事柄なのです。こうしてパウロは、キリストを第一とするゆえの、謙そんで寛容な信仰の姿を私たちに示しています。

 愛の心で真実から、キリストを告げ知らせる者でありたいと願います。また、パウロが示している寛容を、私たちも身に着けることができるようにと願います。それは、何が第一なのかをわきまえていることです。福音を宣べ伝えるという点では、キリストを第一とするということです。日常生活の中でも、何を第一とすべきなのかを忘れないでいることが大切です。たとえ苦しめられているとしても、第一とすべきことが果たされていると気づいて、寛容になることができるかもしれません。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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