日曜朝の礼拝「光と喜びを種蒔かれ」

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光と喜びを種蒔かれ

日付
説教
望月信牧師
神に従う人のためには光を
心のまっすぐな人のためには喜びを
種蒔いてくださる。(11節)詩編 97編1節~12節

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 「神に従う人のためには光を、心のまっすぐな人のためには喜びを、種蒔いてくださる」(詩編97編11節)。とても印象的な御言葉です。神を信じる民、信仰者に光と喜びが種蒔かれるという、約束の御言葉です。この約束に基づいて、詩編97編は、「主こそ王。全地よ、喜び踊れ……」と言って、主を賛美することへと私たちを招いています。

 注意深く申しますと、この御言葉は、「……光を、……喜びを、種蒔いてくださる」であり、光の種、喜びの種を蒔いてくださる、ではありません。光そのもの、喜びそのものです。光の種ならば、まだ光ではないでしょう。喜びの種ならば、まだ喜びではないでしょう。いいえ、ここでは、光そのもの、喜びそのものです。その通り、光そのもの、喜びそのものが、すでに私たちに蒔かれています。すなわち、まことの光である主イエス・キリストが来てくださって、私たちの内に住み、まさに光そのものが蒔かれています。神の喜びであるキリストが来てくださって、私たちの内に住み、私たち自身、大きな喜びを与えられていますし、私たちが神の喜びとされています、神に喜ばれるものと見なされているのです。私たち自身は罪人にほかなりません、けれども、キリストにあって、その私たちが神の喜びとされているのです。まさに光も喜びもすでに蒔かれて、実現しています。

 そうすると、なぜ「種」なのでしょうか。それは、蒔かれた光、蒔かれた喜びが種となり、そこから芽が出て成長するからです。私たちに蒔かれた光と喜びは、これから芽を出し、葉を茂らせ、花を開かせ、実を結ぶものとされるのです。それは、主イエス・キリストが再び来られ、神の救いの御業が完成する終わりの時、蒔かれた種が花開き、実を実らせるようにして、私たちは永遠の光と永遠の喜びの中に招き入れられます。神共にいます、とこしえの命の祝福、永遠の光、永遠の喜びを味わう者とされる、ということでしょう。

 私たちにすでに与えられている光と喜びは、その意味で、まだ種なのです。けれども、すでに確かに与えられているのであり、事実、私たちは信仰者とされて、光をいただき、喜びに満たされて歩むことができます。そして、完成の時の、花開き、実を実らせた、完全な光と喜びは、私たちの想像を超えた、私たちの思いをはるかに超えた大きな光であり喜びなのであろう。主イエスの「種を蒔く人のたとえ」に、良い土地に蒔かれたものは、百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶとあります。そのような、私たちの思いを超えた豊かさで鮮やかに実現するのであろう。私たちは、この主なる神の約束に信頼して、「主こそまことの王」と賛美して、主をほめたたえ、主を喜びとして歩みます。

 私たち自身には、光と喜びを覆い隠してしまう罪と弱さがあります。けれども、主なる神は、私たちの罪と弱さを打ち砕いて、御言葉を確かに成し遂げてくださるお方です。神の御業に期待して、主の光に導かれ、主を喜ぶ信仰の歩みを共に重ねて参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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