日曜朝の礼拝「真の宗教とは何か」

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真の宗教とは何か

日付
説教
望月信牧師
更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」マルコによる福音書 7章9節~13節

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 旧統一協会のことが取り上げられ、信仰によって家族が犠牲になっていることが報道されて、わたしはマルコ福音書のこの箇所を思い出しました。旧統一協会の場合は親が子どもを犠牲にしてしまうのであり、この箇所は子どもが親を軽んじるということですから、逆なのですが、しかし、家族を顧みないということで同じ種類の問題だと言えるでしょう。

 通常、子どもが年老いた親の面倒を見るものです。ところが、「あなたに差し上げるべきものはコルバンです」と言えば、免除される。コルバンとは神への献げ物という意味のヘブライ語です。年老いた親が必要があると言って子どもにお願いしても、神様にささげなければならないと言うと、面倒を見ることを免除される。しかも、実際には自分の手元にとっておいて、自分の好きなように使ってしまう。そのようなことが起こっていたようです。そうして、今のような貯金や年金制度がある時代ではありませんから、高齢者が生活に困窮することが起こっていた。それに対して、主イエスは、モーセが「父と母を敬え」と言っているではないかとおっしゃって、親を大切にすることを求めておられます。すなわち、神を理由にして家族を犠牲にするのであってはならないのです。

 信仰者として生きるとは、神を礼拝し、神を畏れ敬って生きることです。それは決して家族をないがしろにすることではありません。主イエスは、すでに12歳の頃には神の御子であることを自覚しておられたようです。しかし、救い主としての御業を始められたのは30歳が過ぎてからでした。それはおそらく家族を支えるためです。父ヨセフは主イエスがまだ十代の頃に亡くなり、それ以後は主イエスが働いて一家を支えたものと思われます。弟たち妹たちが成長して、家を離れても大丈夫と思われる、それが30歳を過ぎた頃だった。福音を宣べ伝えてついに十字架につけられる時となり、そのときにも、主イエスは弟子のヨハネに母マリアに対する配慮を託されました。ですから、私たちも、信仰者として生きることを理由にして家族を軽んじるのであってはならないと思わされます。

 さて、このマルコ福音書の御言葉において、主イエスは、ファリサイ派の人びとや律法学者たちに対して、自分たちの言い伝えや考えによって神の御言葉を軽んじ、無にすることが起こっていると指摘しておられます。それは、彼らを責めるのではなく、自分の姿を省みて悔い改めてほしいということです。説教の主題を「真の宗教とは何か」としました。私たちが集まって礼拝をささげる、それは悔い改めを祈り求めて礼拝するのです。私たちは、いつの間にか自分の考えが第一となり、自分の思いから離れられなくなることが起こります。そのことをわきまえて、神の御前に悔い改めることを求めて礼拝します。その、自らを省みる謙そんな姿勢が大切です。宗教の大切な意義も、自らの欠けと過ちを知り、自分自身を謙そんにさせるところにこそあると思うのです。

 私たちキリスト者は、主イエス・キリストというお方に照らして、その言葉に導かれて、自らを省み、悔い改めることへと導かれます。このお方は、私たちの過ちを指摘するだけでなく、私たちのために自らの命さえ惜しむことなくささげて、私たちの罪の償いとしてくださったお方です。十字架によって私たちに罪の赦しと永遠の命の恵みを与えてくださいました。私たちはこのキリストに導かれて、自分を中心にして生きる傲慢さから解き放たれ、神と人を愛して生きることへと方向転換するのです。

 傲慢になり、人と争い対立してしまう、その愚かさから解き放たれることができたなら、なんと幸いなことでしょう。十字架によって私たちの罪を赦してくださったお方が、その道しるべです。主イエス・キリストの御言葉に聞いて、謙そんにされることから、始めて参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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