日曜朝の礼拝「プリムの祭り」

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プリムの祭り

日付
説教
望月信牧師
モルデカイはこれらの出来事を書き記し、クセルクセス王のすべての州にいる全ユダヤ人に、近くにいる者にも遠くにいる者にも文書を送り、毎年アダルの月の十四日と十五日を祝うように定めた。ユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした。ユダヤ人は既に実行し始めていたことでもあり、またモルデカイが書き送ってきたこのことを受け入れた。
すなわち、「全ユダヤ人の敵アガグ人ハメダタの子ハマンはユダヤ人絶滅をたくらみ、プルと呼ばれるくじを投げ、ユダヤ人を滅ぼし去ろうとした。ところが、このことが王に知らされると、王は文書をもって、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪いたくらみはハマン自身の頭上にふりかかり、彼は息子らと共に木につるされるよう命じられた。それゆえ、この両日はプルにちなんで、プリムと呼ばれる。」
それゆえ、その書簡の全文に従って、またこの件に関して彼らの見たこと、彼らに起こったことに基づいて、ユダヤ人は自分たちも、その子孫も、また自分たちに同調するすべての人も同様に毎年この両日を記載されているとおり、またその日付のとおりに、怠りなく祝うことを制定し、ならわしとした。
こうして、この両日はどの世代にも、どの部族でも、どの州でも、どの町でも記念され、祝われてきた。このプリムの祭りは、ユダヤ人の中から失せてはならないものであり、その記念は子孫も決して絶やしてはならないものである。(20~28節)エステル記 9章1節~10章3節

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 ハマンはすでに処刑されました。ユダヤ人を滅ぼす企みも、ユダヤ人を殺そうとする者があれば、逆にユダヤ人が彼らを殺してよいという勅令が出されて、事態が逆転しました。復讐が認められましたから、果たしてユダヤ人を襲う人びとがいたのかとも思いますが、スサとペルシア全土で七万五千を越える人びとがユダヤ人によって殺されました。これは、定められた日にユダヤ人を襲う人びとがいたというよりも、ハマンの勅令以後、定められた日を待たずにユダヤ人を襲う人びとがすでにいて、それがこの日にユダヤ人によって復讐されたものと思われます。

 もちろん、復讐そのものを私たちが受け入れることはできません。主イエスは復讐してはならないと教えておられ、「殺してはならない」ということが旧・新約を貫く神の教えです。この復讐の目的は命の救いにあります。私たちが心を痛める以上に、主なる神が心を痛めておられ、しかし、憎しみと妬みに捕らえられてしまう人間の罪を悲しみ、罪に対する怒りと憤りをもって、神の民を愛するがゆえに復讐を許容しておられる、ということでしょう。「持ち物には手をつけなかった」と繰り返し書き留められます。憎しみをぶつけたり財産を増やすためではなく、命の救いのためなのです。ですから、持ち物には手をつけません。

 この出来事を記念してプリムの祭りを行うことが定められました。二つのことを心に留めましょう。一つには、この日には贈り物を交換すること、とりわけ「貧しい人に施しをする」(9章22節)ことが求められます。安らぎを得た喜びを互いに分かち合うことが大切にされます。ほぼ同じ時代、エルサレム神殿を再建した人びとに対しても、主なる神は命じました。「行って良い肉を食べ、甘い飲物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ」(ネヘミヤ記8:10)。エルサレムにおいても喜びを分かち合う隣人愛が教えられ、ペルシアにおいても隣人愛が教えられました。神の愛をいただいて、神を愛するゆえに人をも愛するのです。プリムの祭りは、神の愛と憐れみのゆえに平安を得た日として記憶されるのであり、隣人愛へと押し出される日にほかなりません。

 もう一つ、祭りの名前はエステルの祭りでもなければモルデカイの祭りでもありません。記念され記憶されるべきはエステルでもなくモルデカイでもないからです。「この両日はプルにちなんで、プリムと呼ばれる」(9章26節)。プルが複数回投げられたから、複数形のプリムです。もちろん、ただプルというくじが記念されるのではありません。悪しき思いによって投げられたプルを、主なる神が造り変えてしまわれたからです。ハマンがプルによって企んだ死と滅びを、主なる神は命の救いへと造り変えてしまわれました。この世界はプルのような偶然によって支配されているのではありません。神の御手によって支配されているのであり、神の摂理が成し遂げられていくのです。この記念の日は、人の思いと計画をはるかに超えて働かれる摂理の神をおぼえる日です。人間の悪しき企みを打ち砕き、ご自身の御心を成し遂げられる摂理の神を喜び祝う、このことは、今の私たちにおいても受け継がれるべきことです。

 エルサレムから遠いペルシアにおいて、ユダヤ人は神なき世界を生きるがごとくでした。けれども、主なる神は決してご自身の民を忘れていたのではありません。人の悪しき企みを打ち砕いて、不思議な仕方で命の救いを与え、安らぎと平安へ、祝福と勝利へと造り変えられました。今の私たちも、神のいないかのような世界の中に置かれて、けれども、主なる神は今も確かに力強く働いておられます。神の御手は私たちの思いを超えて長く伸ばされて、今の私たちにも確かに届いているのです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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