日曜朝の礼拝「罪人のひとり主イエス」

日本キリスト改革派 鈴蘭台教会のホームページへ戻る

罪人のひとり主イエス

日付
説教
望月信牧師
それから、イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが、「いいえ、何もありませんでした」と言うと、イエスは言われた。「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実現するからである。」そこで彼らが、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言うと、イエスは、「それでよい」と言われた。
ルカによる福音書 22章35節~38節

この説教要約には音声ファイルはありません

 十二弟子や七十二人の弟子たちを伝道のためにお遣わしになったとき、杖も袋もパンもお金も持っていかないことを主イエスはお求めになりました(9、10章)。それは主なる神に信頼するからです。ただ主なる神に信頼して、何も持たずに伝道します。そうして、弟子たちは確かに何も不足することがありませんでした。「しかし今は」と、主イエスはおっしゃいます。主イエスは間もなく捕らえられます。罪の力がすべてを覆っていることがあらわになる時が、いよいよ近づいているのです。

 「財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」。「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と答えた弟子たちに対して、主イエスは「それでよい」とおっしゃいました。問題は、この「それでよい」です。文字通りには、「それで十分だ」という意味です。しかし、十人以上の弟子たちに対して剣は二本だけです。それで果たして十分なのか。このあと、祭司長たち長老たちが連れだってやって来ます。そのとき、二本の剣でいったい何ができたのか。それは大祭司の手下の耳を切ることだけであった。しかも主イエスは、その耳をいやしてしまわれました。それだけで、もはや剣は何の役にも立っていません。主イエスは、ただそれだけのために服を売って剣を用意せよとおっしゃったのでしょうか。

 主イエスは弟子たちに語りかけておられます。あなたがたは、これからのとき、財布と袋を必要とするであろう。財布や袋ばかりではない。剣までも欲するようになるだろう。よろしい。それらを持つがよい。あなたがたにとって、それらを持たないとどうにも心が落ち着かない、そのような時が来るからである。いや、まさに来ている。そうして、弟子たちは暗闇の力にのみこまれてしまうのです。ほとんど役に立たない剣でも、振り回さざるを得ない。財布を持っていても、弟子たちの財布など、たかがしれているでしょう。しかし、お金に頼らざるを得ない。そうして、弟子たちは罪の力にのみこまれてしまうのです。「それでよい」。これは、決して積極的な肯定の言葉ではありません。主イエスは、深い悲しみをもって、そう言われたに違いない。そして、明らかなことは、罪の力にのみ込まれてしまう弟子たちをまっすぐに受け止めておられる言葉だということです。罪の力にのみ込まれてしまう弟子たちを拒否するのではなく、ありのままの姿を受け止めておられる言葉である。

 信仰に生きるとは自らを明け渡すことにほかなりません。自分で自分を守るのではなく、神に信頼して依り頼む生き方です。けれども、何事かあると、私たちはまるで信仰を持たない人と同じになってしまいます。財布にしがみつくのであり、剣を振り回してしまう。何とか自分で自分を守れないかともがいてしまう。そこに罪の姿があります。主イエス・キリストは、その私たちの罪を背負って、罪人のひとりに数えられてくださいました。罪人を代表して、罪人のかしらとして、十字架につけられてくださいました。こうして、尊い独り子なる神が私たちの罪を背負って十字架につけられる神のご計画が、結末を迎えて実現するに至ります。

 「それでよい」。これは、私たちの弱さと罪をすべて受け止めてくださる主イエスの御声です。私たちは、その御声に慰められ、励まされて、再び立ち上がるものとされます。立ち上がって、私たちは再び主なる神を信頼して、何も持たずに遣わされる者として生きるのです。復活の主イエスに結ばれて、神と人に仕えて、自らをささげて生きることへと進むのです。私たちは何度も倒れるでしょう。「それでよい」、主イエスは繰り返しそうおっしゃって、私たちを立ち上がらせてくださいます。倒れても主イエスが受け止めてくださる。そこに信仰者の幸いがあります。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

礼拝に来てみませんか?

鈴蘭台教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

ホームページからでしたらお問い合わせフォームを。お電話なら078-592-6875まで。お電話の場合、一言「ホームページを見たのですが」とお伝えくださると、話が伝わりやすくなります。