日曜朝の礼拝「主はわたしの命の砦」

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主はわたしの命の砦

日付
説教
望月信牧師
王とハマンは、王妃エステルの酒宴にやって来た。この二日目の日も同様に、ぶどう酒を飲みながら王は言った。「王妃エステルよ、何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」
「王よ、もしお心に適いますなら」と王妃エステルは答えた。「もし特別な御配慮をいただき、私の望みをかなえ、願いを聞いていただけますならば、私のために私の命と私の民族の命をお助けいただきとうございます。私と私の民族は取り引きされ、滅ぼされ、殺され、絶滅させられそうになっているのでございます。私どもが、男も女も、奴隷として売られるだけなら、王を煩わすほどのことではございませんから、私は黙ってもおりましょう。」
クセルクセス王は王妃エステルに、「一体、誰がそのようなことをたくらんでいるのか、その者はどこにいるのか」と尋ねた。
エステルは答えた。「その恐ろしい敵とは、この悪者ハマンでございます。」
ハマンは王と王妃の前で恐れおののいた。(1~6節)エステル記 7章1節~10節

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 エステルの酒宴の二日目が催されます。酒宴もたけなわとなった頃でしょう。王が切り出します。「王妃エステルよ、何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう」。王の好意を得て、エステルは慎重に言葉を選んで申し出ます。「もし特別なご配慮をいただき、私の望みをかなえ、願いを聞いていただけますならば、私のために私の命と私の民族の命をお助けいただきとうございます。私と私の民族は取り引きされ、滅ぼされ、殺され、絶滅させられそうになっているのでございます」。エステルは、ここではまだ自分がユダヤ人だとは明かしていません。しかし、神の民の一人として、すべてのユダヤ人と共に生きる、エステルの決意を読み取ることができます。

 「一体、誰がそのようなことをたくらんでいるのか、その者はどこにいるのか」。王の問いにエステルは答えます。「その恐ろしい敵とは、この悪者ハマンでございます」。エステルはハマンこそが「私の命と私の民族の命」を脅かす存在だと告げます。こうしてエステルがユダヤ人であることが明らかにされました。事の次第を知って、王は怒って立ち上がり、酒宴をあとにして王宮の庭に出ます。その後、外から戻ってきた王に、ひれ伏して命乞いをするハマンの姿がエステルに襲いかかっているように見えてしまいます。王は言います。「わたしのいるこの宮殿で、王妃にまで乱暴しようとするのか」。ハマンがモルデカイをつるすために五十アンマもの高さの柱を立てていたことが、側近たちから王に知らされて、王は「ハマンをそれにつるせ」と命じます。こうして、ハマンは、モルデカイのために立てた柱に自らつるされ、処刑されました。「王の怒りは治まった」という言葉で、この章は締めくくられます。

 こうして、「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」と言われていたことが成し遂げられました。すべてはここを目指していました。あらゆることがここで一つに結ばれています。私たちにとってはそれぞれ別々の事柄、あるいは偶然に思える事柄かもしれません。不合理に思えたり、不公平に思えることもあるでしょう。私たちにはとうてい理解できないことが起こります。けれども、それらは決してバラバラの事柄ではありません。この世界は、決して偶然に支配されているのではありません。生けるまことの神がおられ、神がすべてをご支配しておられる、神が統べ治めておられる世界なのです。

 そして、「この時のためにこそ」ということで目指されていたことは、命の救いです。神の御計画は命の救いをこそ目指しています。ユダヤ人は死と滅びから助け出され、命を与えられます。命の救い、命の回復こそ神が目的としておられることである。私たちにおいても、私たち自身にはたとえ今、分からないとしても、主なる神は、命の救いを目指して、今も力強く働いておられるお方です。

 それゆえ、「主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦、わたしは誰の前におののくことがあろう」(詩編27:1)、私たちは、この詩編の詩人に心を合わせて歌うことができます。主なる神が私たちのために働いてくださっているからです。続く4節にはこうあります。「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを」。ここに、主なる神に依り頼む詩人の信仰の姿が示されています。神をほめたたえて歌い、祈りをささげて礼拝すること。そこに主の家があります。礼拝して、主に依り頼んで生きる人生が祈り求められています。祈りをささげて主に依り頼む者は幸いなのです。主なる神は、私たちに命の勝利をたまわるお方にほかならないからです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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