日曜朝の礼拝「それから三日目のこと」

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それから三日目のこと

日付
説教
望月信牧師
それから三日目のことである。エステルは王妃の衣装を着け、王宮の内庭に入り、王宮に向かって立った。王は王宮の中で王宮の入り口に向かって王座に座っていた。
王は庭に立っている王妃エステルを見て、満悦の面持ちで、手にした金の笏を差し伸べた。エステルは近づいてその笏の先に触れた。
王は言った。「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」
エステルは答えた。「もし王のお心に適いますなら、今日私は酒宴を準備いたしますから、ハマンと一緒にお出ましください。」
王は、「早速ハマンを来させなさい。エステルの望みどおりにしよう」と言い、王とハマンはエステルが準備した酒宴に赴いた。
王はぶどう酒を飲みながらエステルに言った。「何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」(1~6節)エステル記 5章1節~14節

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 「エステルは……王宮に向かって立った」。ついに立つべきところに立ったというニュアンスの言葉ですが、ただ物理的空間的なことではありません。「このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります」という信仰的な領域に立ったということです。神への信仰と信頼を明らかにするところに立った。それが王宮に向かって立つことでした。

 「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできない」(マルコ9:29)という主イエスの言葉を思い起こします。人間を超えた領域、霊的な領域があるということです。私たちの戦いは、「血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするもの」(エフェソ6:12)です。祈りによらなければ太刀打ちできない戦いがあることをわきまえなければなりません。

 「それから三日目のこと」とは三日三晩の断食を前提にしています。断食と祈りの時を経て、エステルは、自分の力によるのではない、霊的な戦いであることをわきまえ、神の御力に依り頼んで、王宮の内庭に立ちます。もちろん緊張していたでしょう。けれども、エステルの心には落ち着きと平安が与えられていたでしょう。何を言うべきなのか、与えられるようにして言うべきことが示されていたでしょう。主イエスが約束しておられる通りなのです。「会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何を言おうかなどと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる」(ルカ12:11,12)。

 王は庭に立っている王妃エステルを見ると、満悦の面持ちで手にした金の笏を差し伸べて言います。「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう」。王はことのほかエステルに好意的でした。主なる神が王の心を動かしておられます。エステルは、慎重かつていねいに事を進めます。およそ一月も王に召されなかったので、王との親しい交わりを再開させることが大切だと考えたのかもしれません。ハマンが一緒のほうがよいという判断もあったでしょう。そのため酒宴の席に招きます。このような知恵と分別は、祈りの中で与えられたものと言うべきです。酒宴の席で、王は重ねて言います。「何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう」。王はとても熱心にエステルに語りかけています。金の笏が差し伸べられなければ死ななければならない、その危険を冒してあえて王宮の庭に立ったエステルに興味がかき立てられています。明日の酒宴でと言われて、王はますます関心を高められて、明日を待ち望むよう仕向けられます。

 この5章では、祈りによって支えられているエステルの知恵と分別が際立ちます。神の御前に静まり、御言葉に導かれて神の御計画、摂理の御業を思い巡らし、思慮深く、言葉を選んで冷静に発言することへと導かれています。聖霊は思慮分別の霊なのです。そのエステルとは対照的に、ハマンは感情的な浮き沈みが激しく、また非常に饒舌です。親しい友人を招き、妻を同席させて自慢話をして、モルデカイによって傷つけられた心の傷を必死にいやそうとしています。神を信じるのでないハマンは、自分の持てるものによって自分を飾らないではいられません。

 「この種のものは、祈りによらなければ」と言われますが、真実には、私たちの人生そのものが祈りによらなければ支えられないものなのです。私たち自身には自分の人生を切り開く力はなく、神の御力によらなければ私たちの人生は支えられません。そして、主なる神こそが、真実に、私たちの人生を道ぞなえしておられるお方です。主なる神が王の心を動かして、道を開いてくださったように、主なる神が私たちの道をも開いて整えてくださる。その主なる神に信頼する人は幸いです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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