日曜朝の礼拝「離れていても一つの民」

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離れていても一つの民

日付
説教
望月信牧師
 ハマンはクセルクセス王に言った。「お国のどの州にも、一つの独特な民族がおります。諸民族の間に分散して住み、彼らはどの民族のものとも異なる独自の法律を有し、王の法律には従いません。そのままにしておくわけにはまいりません。もし御意にかないますなら、彼らの根絶を旨とする勅書を作りましょう。わたしは銀貨一万キカルを官吏たちに支払い、国庫に納めるようにいたします。」王は指輪をはずし、ユダヤ人の迫害者、アガグ人ハメダタの子ハマンに渡して、言った。「銀貨はお前に任せる。その民族はお前が思うようにしてよい。」
(8~11節)
エステル記 3章1節~15節

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 3章は、ハマンが引き立てられたことから始まります。王によって、ハマンにひざまずいて敬礼することが命じられ、王宮の門にいる役人は皆、ハマンが来るとひざまずいて敬礼しました。その中で、モルデカイはハマンにひざまずかず、敬礼もしません。このことでハマンは腹を立て、モルデカイがユダヤ人であることを知ったハマンは、ユダヤ人をみな滅ぼそうと考えるようになりました。王は、自らの指輪をハマンに託し、ユダヤ人についてのすべてのことをハマンに委ねます。そのハマンの指導のもとで、ユダヤ人は皆、一人残らず滅ぼされ、絶滅させられ、持ち物は没収されると命じる勅書が作成され、公示されました。

 「敬礼する」という言葉には「拝む」という意味があり、ハマンを神として拝むことを拒んだのではないかと言われます。けれども「敬礼する」と翻訳される通り、敬意を表すことを意味する言葉でもあり、ふさわしい敬意を払うことが求められただけだとも言われ、はっきりしません。この点で、「アガグ人ハメダタの子ハマン」と紹介されることがヒントかもしれません。アガグはサムエル記上に登場するアマレク人の王で、ハマンはアガグの子孫であると思われます。モルデカイは「キシュ、シムイ、ヤイルと続くベニヤミン族の家系」に属し、サウル王の子孫です。滅ぼし尽くせとの主の命令にもかかわらず、サウルはアガグを生け捕りにし、主の御言葉を退けました。「主の御言葉を退けたあなた(サウル)は、王位から退けられる」(サムエル上15:23)。このサウルの不従順を知るモルデカイの前にアガグの子孫が現れて、モルデカイはハマンの前にひざまずくことができなかった。これはモルデカイにとって、神の御言葉に従うか従わないかという種類の問題だったと思われます。

 ハマンは、ユダヤ人の虐殺をクセルクセス王の名によって告げさせるために計略を立てました。年の初めに、プルと呼ばれるくじを投げて、一年の予定を立てます。そのときに、ユダヤ人の虐殺を加えてしまうのです。その結果、十二の月、アダルの月に行われることになりました。ですから、ユダヤ人の虐殺は、まったくの運試しのような、偶然というものに依って立っていると言えるでしょう。しかし、ここに神の御計画、神の摂理の御業があります。人間的には偶然と思えることにも神の御業がある。第十二の月は年末ですから、一年近い期間があります。主なる神は、その期間を用いて、ご自身の御業を成し遂げていかれるのです。

 ハマンは言いました。「お国のどの州にも、一つの独特な民族がおります。諸民族の間に分散して住み、彼らはどの民族のものとも異なる独自の法律を有し、王の法律には従いません」。イスラエルの民は散らされていますが一つの民族です。独自の法律とは神の御言葉であり、ユダヤ人は神の御言葉によって結ばれて一つの民なのです。神の民は御言葉によって一つとされ、また、神の御業の器とされています。モルデカイは神の御言葉に従うゆえに、ハマンにひざまずくことができませんでした。そのように、御言葉が人の心の内に働いて、人を動かします。神の民は御言葉によって神の御業の担い手として歩みます。

 今、私たちキリスト者も、散らされていますが一つの民とされています。それは御言葉によって一つなのです。ペルシアの地にあって、ユダヤ人は、分散して住みながらも一つの民と言われるような、御言葉による一致を明らかにして生きていました。その点で、ペルシアの地に生きたバビロン捕囚の民から学びたいと願います。私たちも、御言葉による一致を明らかにして、主なる神をほめたたえて歩みます。御言葉が私たちに働いて、神の御業の担い手として歩む者とされるのです。共に神の御言葉に聞き、主は一人、信仰も一つ、共に主に仕えて歩んで参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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