日曜朝の礼拝「シャロームがあるように」

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シャロームがあるように

日付
説教
望月信牧師
 要塞の町スサに一人のユダヤ人がいた。名をモルデカイといい、キシュ、シムイ、ヤイルと続くベニヤミン族の家系に属していた。この人は、バビロン王ネブカドネツァルによって、ユダ王エコンヤと共にエルサレムから連れて来られた捕囚民の中にいた。モルデカイは、ハダサに両親がいないので、その後見人となっていた。彼女がエステルで、モルデカイにはいとこに当たる。娘は姿も顔立ちも美しかった。両親を亡くしたので、モルデカイは彼女を自分の娘として引き取っていた。
 さて、王の命令と定めが発布され、大勢の娘が要塞の町スサのヘガイのもとに集められた。エステルも王宮に連れて来られ、後宮の監督ヘガイに託された。彼はエステルに好意を抱き、目をかけた。早速化粧品と食べ物を与え、王宮からえり抜きの女官七人を彼女にあてがい、彼女を女官たちと共に後宮で特別扱いした。エステルは、モルデカイに命じられていたので、自分が属する民族と親元を明かさなかった。モルデカイはエステルの安否を気遣い、どう扱われるのかを知ろうとして、毎日後宮の庭の前を行ったり来たりしていた。
(5~11節)エステル記 2章1節~23節

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 モルデカイとエステルが登場します。モルデカイは捕囚民となったユダヤ人の子孫で、彼自身はペルシアで生まれ育ったものと思われます。モルデカイはエステルの後見人をしていました。モルデカイとエステルは「いとこ」の関係でしたが、モルデカイのほうが年長であり、両親を失っていたエステルを引き取って、自分の娘として育てていたのです。そのエステルが、クセルクセス王の新しい王妃探しに際して、王宮へと集められる一人となり、やがて王の目に留まることになりました。王はエステルの頭に王妃の冠を置き、エステルが新たな王妃となります。2章には、寄留の民に過ぎないユダヤ人の娘、エステルが、ペルシアという大帝国の王妃の位に就くという、驚くべきことが書き留められています。

 16節によると、エステルがクセルクセス王のもとに連れて行かれたのは治世の第七年です。ワシュティの退位のきっかけになった酒宴は治世の第三年ですから、およそ四年が経過したことになります。神の御業はそのようなタイムスパンの中で成し遂げられることに目を留めましょう。私たちは歴史の中で翻弄されるようにして生きています。けれども、神の民は知っています。その翻弄されるような中で、神の御業が行われています。人はすべてを見通すことはできませんから、私たちにはまだ悟ることができません、けれども、神の御計画が実現していきます。ですから、主なる神を信頼して、忍耐し、従順であれます。無欲というのも、主なる神に信頼して、自分を第一としないのです。エステルが従順で忍耐強く、無欲である。これは神の御計画を知る者の従順、忍耐、無欲にほかなりません。それが周りからは美しいと見える、美徳と見える。

 11節の言葉にも目を留めましょう。一つには、「安否を気遣う」とは「シャロームを気遣う」という言葉です。シャローム、神との平和です。モルデカイが心配したのは、ただ平穏にしているかということではありません。異国の王宮で、まことの神を知る信仰者が一人で過ごさなければならない中、エステルの魂が平安であるかどうかを気遣いました。当然、モルデカイはエステルにシャロームがあるよう祈ったでしょう。信仰者は、そのように祈られてこそ忍耐強く歩むことができます。

 もう一つ、「どう扱われるのかを知ろうとして」とあります。これは王や宦官によってエステルがどう扱われるのかというだけではありません。エステル記に神という言葉は出てきませんが、エステル記は神の御計画、神の摂理を語ります。ですから、神がエステルをどう扱われるのかを知ろうとしたということです。モルデカイは、エステルが王宮に連れて行かれて、神の御業が始まったと思ったでしょう。そこで神がエステルをどのように扱われるのかを気遣い、知ろうとしていた。この点で、私たちも、生活の中で起こり来る私たちの理解を超えた出来事、思いもよらない出来事を、ただ偶然だと片付けるのではありません、神が何か新しいことを始めておられるのではないかと考えることが大切です。神がどのように扱われるのかを知ろうと祈り求める、その祈りの中でこそ、私たちは主なる神の召しに応えて、神の御心に従って生きる者とされます。

 父なる御神は、私たちを御自分の民として愛してくださっています。それは異教の地にあっても変わりません。主なる神は私たちを神の民としてくださった以上、ご自身、「担い、背負い、救い出す」(イザヤ46:4)のです。その主なる神に信頼して、私たちは置かれたところで主に信頼して、忍耐強く、神に喜ばれる歩みを祈り求めて、誠実に、忠実に、歩み続けます。苦難の中にあって、なお悪から離れ、善を行い、誠実に歩む。そこに神の民として生きる道があります。主なる神は、そのような忠実な民を、確かな勝利と豊かな祝福によって報いてくださるのです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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