日曜朝の礼拝「神のものは神に」

日本キリスト改革派 鈴蘭台教会のホームページへ戻る

神のものは神に

日付
説教
望月信牧師
 そこで、機会をねらっていた彼らは、正しい人を装う回し者を遣わし、イエスの言葉じりをとらえ、総督の支配と権力にイエスを渡そうとした。回し者らはイエスに尋ねた。「先生、わたしたちは、あなたがおっしゃることも、教えてくださることも正しく、また、えこひいきなしに、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」イエスは彼らのたくらみを見抜いて言われた。「デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか。」彼らが「皇帝のものです」と言うと、イエスは言われた。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは民衆の前でイエスの言葉じりをとらえることができず、その答えに驚いて黙ってしまった。ルカによる福音書 20章20節~26節

この説教要約には音声ファイルはありません

 ユダヤ当局からの回し者が主イエスのところに来ました。彼らは主イエスを罠にかけようとして、尋ねます。「私たちが皇帝に税金を納めるのは、律法にかなっているでしょうか、かなっていないでしょうか」。当時、ユダヤはローマ帝国の支配下にあり、皇帝に税金を納めることは、ローマ帝国の支配と権威を認めることと一つのことでした。皇帝の支配と権威を認めることは、神の民にとって適切なことなのかと問うたのです。

 「ローマ皇帝に税金を納めてよい」と答えたならば、「イエスがローマの権威を認めたぞ」と言い広めます。主イエスに対する民衆の人気が落ちるでしょう。「ローマ皇帝に税金を納めてはならない」と答えたならば、「皇帝に税金を納めるなと言っています」と言って、ローマ総督に訴えます。こうして、どちらであっても罠にかけることができます。

 それに対して、主イエスは、まったく慌てることなく静かにお答えになったのでしょう。「デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか」。彼らの中の誰かがいそいそとデナリオン銀貨を取り出して答えます。「皇帝のものです」。主イエスはおっしゃいます。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」。非常に印象的な言葉です。言葉じりをとらえるどころではなく、自分たちの愚かさを悟らされて黙るほかない、驚くべきお答えでした。

 「皇帝のものは皇帝に」。すなわち、主イエスは地上の政治的な権力を認めておられます。この地上には、皇帝のものと言うべき皇帝の領域がある。今日で言うならば、政治や行政の領域です。それらは社会の秩序を成り立たせる働きなのであり、積極的に認めて、維持すべきものなのです。私たちの日々の生活が安定した仕方で維持されるためには、地上の秩序、権威が必要であり、主なる神が私たちの上に地上の権威を立てておられます。人は秩序なしに生きることはできません。

 「神のものは神に」。当時、皇帝に納める税金がある一方で、神に納める税金、神殿税がありました。けれども神殿税のことではありません。政治と宗教を区別して、政治は政治、宗教は宗教ということでもありません。デナリオン銀貨を見せて、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」です。デナリオン銀貨にはローマ皇帝の肖像が刻まれていました。それに対して、同じように、神の肖像、神のかたちが刻み込まれているものがある、神のかたちを担う存在がある。私たち人間です。ギリシア語で、「肖像」は「かたち」を意味する言葉と同じ一つの言葉です。コインにローマ皇帝のかたちが刻まれているならば、神のかたちが刻み込まれているものがある。それを指して、「神のものは神に」です。

 地上の権力者、地上の支配者には、地上の秩序と公共の福祉のために税金を納めたらよい。けれども、それがすべてではない。人には神のものであるという決定的なしるしが刻み込まれている。あなたがたはそれを忘れたのか。主イエスは、そうおっしゃって、問いかけておられます。あなたがたに神のかたちが刻み込まれているならば、どう生きるべきなのか。神のかたちに造られたものとして、神の御心に従い、心の良心に従い、神の御前に生きる生き方があるではないか。私たちの真実の主人は生けるまことの神をおいてほかにおられないではないか。

 こうして、主イエスはまことの権威が神にあることを教えられました。地上において、それぞれの領域で地上の権威が立てられています。同時に、どのようなところであっても私たちが神の御前に生きることは変わりません。私たちは神のもの、神の御前に生きる存在です。生けるまことの神こそわたしの主ですと告白して、自らを神のものとして生きる。そこに、人としての真実に幸いな人生があります。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

礼拝に来てみませんか?

鈴蘭台教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

ホームページからでしたらお問い合わせフォームを。お電話なら078-592-6875まで。お電話の場合、一言「ホームページを見たのですが」とお伝えくださると、話が伝わりやすくなります。