日曜朝の礼拝「子ろばに乗る王」

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子ろばに乗る王

日付
説教
望月信牧師
 イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。二人は、「主がお入り用なのです」と言った。そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。(28~35節)ルカによる福音書 19章28節~38節

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 ルカ福音書は、「イエスは……先に立って進み、エルサレムに上って行かれた」と語って、先立って進まれる主イエスの姿を描きます。また、主イエスは「向こうの村に行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる」とおっしゃって、ろばの子に乗ってエルサレムに入ろうとされます。いずれもゼカリヤ書の御言葉が思い浮かびます。「その日、主は御足をもってエルサレムの東にあるオリーブ山の上に立たれる」(ゼカリヤ14:4)。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って」(同9:9)。主イエスは、ですから、ご自身をまことの王として取り扱うことを求めておられます。主イエスは、まことの王、救い主として、エルサレムに入ろうとしておられます。

 実に、主イエス・キリストこそまことの王であられます。ただそれゆえに、たいへん不思議なことですが、ろばの持ち主は素直に子ろばを差し出します。持ち主は、主イエスが王であること、その主権を認めて、自らのものを献げ物として差し出します。このとき、いわば先取りとして、主イエスがまことの王であられことが成し遂げられているのです。

 子ろばは、まだ誰も乗ったことがなく、人が乗るための鞍も用意されていません。そのため弟子たちが自分の服を子ろばの背中にかけます。主イエスが進んで行かれると、多くの人びとが自分の服を主イエスの足元に敷き、子ろばの歩く道を作ります。野原から葉の付いた枝を切ってきて道に敷いた人たちもいました。これらは、即位した王、戦いに勝利した王を迎える、喜びの行為です。勝利の王、勝利の凱旋将軍として、主イエスを迎えます。こうして福音書は、主イエスがまさにまことの王としてエルサレムに来られたのだと語ります。そして、彼らと同じように、このお方をまことの王としてお迎えすることへと、私たちを招くのです。

 主イエス・キリストがまことの王、主権者であるとはどういうことでしょうか。主イエスのご支配は、この世の支配、地上の支配とは違っています。ろばは足が遅く、物音に敏感で、それゆえ戦争に適しません。ですから、ろばに乗る王とは戦うことを止めた王です。戦車も軍馬も戦いの弓も絶たれます。むしろ主イエスは、ろばのように仕えることにおいて王であられます。へりくだって仕えること、重荷を背負い、共に労苦することによって、主イエスは、私たちのまことの王であり、まことの救い主であられます。そのへりくだりの姿が決定的にあらわされたのが十字架です。私たちの罪とけがれのすべてを背負い、身代わりの死を耐え忍ばれました。その十字架の死によって、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)という御言葉が実現したのです。ここに神のくすしき御業があります。

 このへりくだりの王、重荷を背負うお方をまことの王としてお迎えして、私たちも謙そんに仕えることによって生きていきます。神と人に仕えて共に労苦を負うところに、私たちの人生の幸いがあります。このとき、主イエスは弟子たちの働きをお用い、ろばの飼い主に自らの持ち物を差し出すことをお求めになりました。そのように、主イエスは私たちの献身を求めて、共に働くことを喜ばれるお方です。私たちの働きを用いて、ご自身の尊い御業を成し遂げてくださるのです。一つひとつは小さな働きかもしれませんが、主イエスは、その献げ物を喜んで受け取り、御自身の尊いお働きのために用いてくださいます。神の御業の実現のため、御国の進展のために、一つひとつを大切に用いてくださいます。このお方をまことの王、まことの救い主として仰いで、歩んで参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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