日曜朝の礼拝「黙ることなく叫び続けよ」

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黙ることなく叫び続けよ

日付
説教
望月信牧師
イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。
ルカによる福音書 18章35節~43節

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 エリコの町に近い街道筋で目の見えない男が物乞いをしていました。まもなく過越祭という時期で、多くの人びとが通り過ぎて行きますが、ひときわ大きなざわめきをたてて通り過ぎる一団があることに気づいて、彼は通りかかった人をつかまえて尋ねました。「これは、いったい何事ですか」。すると、「ナザレのイエスのお通りだ」と知らされる。ここから彼の大冒険が始まりました。彼は必死に訴え、叫び求めたのです。

 「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」。叱りつけられても、彼は叫び続けます。「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」。「ダビデの子」とは、主イエスがまことの救い主であることを意味する言葉です。旧約において、救い主メシアがダビデの子として生まれることが約束されていて、「まことの救い主よ」と呼びかけるに等しいのです。この直前の箇所で、「人の子は異邦人に引き渡され、侮辱され……」という主イエスの言葉を弟子たちは理解できませんでした。まして通りかかった主イエスを呼び止めただけの男が果たしてどこまで理解していたのだろうかと思われます。しかし、彼もユダヤ人であり、旧約の御言葉を学んでいたのでしょう。主イエスが足の不自由な人を立ち上がらせ、重い皮膚病に苦しんでいた人を清めたことを伝え聞いていたのでしょう。そうして、主イエスこそまことの救い主ではないかと考えていた。だからこそ「ダビデの子イエスよ」と言って、必死に呼びかけた。目の見えない彼こそ、主イエスにまことの救い主メシアを見る人物だったのです。

 とても興味深いことです。先の者が後になり、後の者が先になるような、神の国の福音がいかに神秘であるのか、救いがいかに神の恵みとして与えられるものなのかを示すエピソードだと思わされます。ですから、いつでも神の御言葉を聞くことができると思っていると大きな落とし穴に陥りかねないと、わきまえていなければなりません。この男が必死に叫び求めたような、ひたむきさが求められているのでしょう。

 そして、そのひたむきな姿は必ず報われます。このとき、叫び求める男の声を聞いて主イエスは立ち止まり、この男をおいやしになりました。男はたちまち目が見えるようになり、肉の目でもダビデの子である救い主メシアを見て、神をほめたたえる者とされ、主イエスに従って歩むことへと導かれました。主イエスは、「あなたの信仰があなたを救った」とおっしゃいました。それは、決して黙ろうとはしない姿にあらわれた信仰です。ですから、私たちは主イエスに一筋に、ひたむきに呼び求めればよい。そうすれば確かに聞き入れられる。聖書はそう約束しています。

 主イエスは、「何をしてほしいのか」とこの男に尋ねました。この箇所は、「やもめと裁判官のたとえ」に始まる、祈りについて教える御言葉の締めくくりになっています。施しを求め、目が見えることを求めたこの男は、目が見えるようにされただけでなく、神をほめたたえて主イエスに従う者とされました。私たちにはいろいろな祈り願いがあり、私たちはどんなことでも訴えて祈ることができます。そして、ひたむきに訴えて祈る私たちに、主イエスはすべてにまさる幸いを与えて答えてくださいます。それが、神をほめたたえて、主イエスに従う幸いです。主イエスに従うときに、私たちは暗闇の中を手探りで生きるのではなく、光の中を歩むことができるのです。確かな光に導かれて歩むことができます。

 主イエス・キリストこそ、私たちを照らし出すまことの光です。主イエスご自身が私たちの足もとを照らし出すともし火となり、私たちを緑の青草のもとに導くまことの羊飼いとなって、いつも私たちに先立って歩んでくださいます。そこに、私たちの人生の真実の幸いがあります。この主イエス・キリストを仰ぎ見ることを祈り求めて歩んで参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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