日曜朝の礼拝「しもべとして生きる」

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しもべとして生きる

日付
説教
望月信牧師
あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」(7~10節)ルカによる福音書 17章5節~10節

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 「取るに足りない」は「役に立たない」「無益な」とも翻訳されます。主イエスは、当時の奴隷の姿を取り上げて、畑で働き、羊の世話をして、家に帰ったならば主人の食事の用意と給仕をするではないかとおっしゃいます。奴隷は求められていることを忠実に果たすはずだと指摘するのであり、ですから、この奴隷はしなければならないことをしていない奴隷ではありません。主人の役に立っていて、決して無益なしもべではない。しかし、「取るに足りないしもべ」と言いなさいとおっしゃいます。

 「取るに足りない」と翻訳される言葉には、「支払うべき価値を持たない」という意味があります。自分のしたことについて報酬を求める資格がない、ということです。ですから、奴隷は報酬を求めて働くのではありません。一日働いたら一デナリオンもらえる、ぶどう園の農夫のたとえがありますが、奴隷はすでに主人のものなのであり、主人のものである以上、主人のものであるという理由だけで働くのです。生活の糧はもちろん与えられますが、それも決して報酬としてではありません。

 主イエスは、私たちにしもべとしての生き方を教えておられます。報酬を求めることなく、主イエスに奴隷として仕えるということです。それは、本当に主人としてお仕えすべきお方に仕えることが許されている、そのことを喜ぶからです。そして、自分はこれだけのことができたから、イエスさまの隣に座らせていただくことができるのではないか、そういうことを考えるのではない。それでは、だれがいちばん偉いのかと言い争った弟子たちのようになってしまいます。私たちは取るに足りないしもべであって、しなければならないことをしただけである。どこまでそこにまっすぐに立つことができるのか。そのことが問われています。

 主イエスは、「わたしどもの信仰を増してください」という願いに答えて、「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば」とおっしゃいました。からし種は小さなものの代表であり、「からし種一粒ほどの信仰があれば」とは、信仰は大きさではないということです。たとえどれほど小さくても、種には命があります。生きています。すなわち、たとえ小さくても生きた信仰、命ある信仰があれば、それでよい。信仰とは、主なる神が生きて働いておられると信じることだからです。信仰とは、信じる私たちの思いの強さではありません。神がまことに生きて働いてくださるのであって、そうであるならば、私たちに不可能に思えることであっても可能なのです。だからこそ、桑の木が大地を抜け出して海に根を下ろす、そのようなことさえ期待することができます。

 奴隷であるとは、自分の力ではないことを知っているということです。自分が何かをできたとしても、それは主人が備え、与えてくださったものに支えられているのです。私たちも、ただ神の憐れみ、神の賜物によって為すべきことを為しえるのみなのです。ただ神の御力に信頼し、神の御業に仕えて、自分のなすべきことを忠実にするのです。その意味では、「自分には何の力も賜物もなくて」と考えるのではありません。主なるが必要な賜物を与え、私たちを用いて働いてくださり、私たちの小さなわざを何倍にも祝福してくださいます。ですから、命じられることに忠実に取り組む。そのことが求められているのだと言えるでしょう。

 「命じられたことを果たしたからといって、主人はしもべに感謝するだろうか」。けれども、私たちの主人であられる主イエス・キリストは、ご自身、へりくだり、しもべとなられて、十字架につけられてくださいました。感謝するどころではない、ご自身の命を差し出してくださったお方なのです。この主イエス・キリストをいただいて、しもべとして生きることへと召されています。このお方に忠実に仕えて歩んで参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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