日曜朝の礼拝「ソドムの滅亡」

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ソドムの滅亡

日付
説教
望月信牧師
二人の客はそのとき、手を伸ばして、ロトを家の中に引き入れて戸を閉め、戸口の前にいる男たちに、老若を問わず、目つぶしを食わせ、戸口を分からなくした。
二人の客はロトに言った。「ほかに、あなたの身内の人がこの町にいますか。あなたの婿や息子や娘などを皆連れてここから逃げなさい。実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。」
夜が明けるころ、御使いたちはロトをせきたてて言った。「さあ早く、あなたの妻とここにいる二人の娘を連れて行きなさい。さもないと、この町に下る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう。」
ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。(10~13,15,16節)創世記 19章1節~29節

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 主なる神は義なる神であり、罪を憎み、悪を罰するお方です。しかし、それだけではありません。不品行にまみれたソドムを滅ぼす神の御業にも、神の愛と憐れみが表れています。アブラハムの甥ロトは、ソドムで、信仰を保ち、不道徳に心を痛めて生活していたようです(ペトロ一2:6-8参照)。ロトは「ソドムの町の門の所に座って」、門前の広場で行われる取引や裁判を司る立場に就いていました。「こいつは、よそ者のくせに、指図などして」と言われるのは、責任ある地位を得ていたからでしょう。ねたむ人もいたでしょうが、ロトの誠実な人柄が評価されていたのです。

 二人の御使いが普通の旅人の姿でソドムにやって来ます。ロトは彼らを見て、自宅に迎えようとします。旅人をもてなす憐れみのわざですが、ロトの真剣さはそれ以上です。「いや、結構です」と拒む二人を説き伏せるようにして自宅に招き入れます。夜になれば町の男たちが彼らを襲い、不品行の相手にしようとするだろう。そう考えて、彼らを守ろうとしたのでしょう。ロトは、不道徳な町の中で、彼なりに戦っておりました。

 夜になり、町は悪の支配下におかれます。暗闇の中、ロトの家に宿泊している客人を求めて、「若者も年寄りもこぞって押しかけ」ます。ロトは彼らを阻止して客人を守ろうといたします。男たちに自分の身を危険にさらして、客人を守ろうといたします。しかし、そればかりか、ロトは、あろうことか、自分の二人の娘を差し出そうとするのです。こうしてロトは、今や悪を悪で阻止するような重大な誤りを犯そうとしてしまいます。これは、悲しい、決してしてはならないことにほかなりません。

 しかし、今や主なる神が御自身の御業を行われます。ロトが逆に旅人によって守られます。真実には、ロトのほうが守られなければなりません。そのために、主なる神が御使いを遣わしてくださいました。ロトは信仰者として歩んでいましたが、弱くもろい歩みなのです。二人の御使いがソドムの人々の目を打ち、目をくらませます。こうして、神の憐れみは終わりを告げ、神がソドムを滅ぼされる時がついに来たのです。

 御使いはソドムが滅ぼされることを告げて、家族を連れて逃げ出すようロトに命じます。しかし、ロトと家族は戸惑うばかりで決断できません。ロトは、アブラハムと別れたときすでに、この世の繁栄に目を惑わされる傾向がありました。ロトの信仰は、いわば二足のわらじの信仰、二股の信仰です。神を信じるが、同時にこの世の繁栄を楽しみ、この世の力にも依り頼む。ただ主なる神にのみ依り頼むことができません。そのロトを、主なる神が憐れまれます。御使いはロトと妻、娘たちの手をつかんで、町から連れ出します。途中で妻を失うことになりましたが、ロトとその娘たちは救い出されました。ロトの信仰は弱く、多くの問題がある信仰でした。しかし、主なる神は、ロトを愛して、手を取るようにして救い出してくださいます。神の愛と憐れみは、それほどに大きく広く高く深く、豊かなのです。主なる神は、信仰の問題点を見るのではなく、ご自身の愛と憐れみを通してロトと娘たちを見つめておられます。

 私たちも、信仰者として歩む幸いを与えられていますが、そして、私たちも罪もけがれもない、何の問題もない信仰者ということではありません。主なる神に顔向けできないような、罪とけがれにまみれた者に違いありません。二股の信仰、二足のわらじを履く信仰生活であり、主なる神にのみ依り頼むことができない、優柔不断な信仰です。けれども、主なる神は、私たちの手をとって救いへと招き入れてくださいました。そして、今や十字架の主イエス・キリストのゆえに私たちの罪は覆われた、「わたしもあなたを罪に定めない」とおっしゃってくださるのです。私たちは、心からの感謝をささげて主なる神をほめたたえるばかりです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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