日曜朝の礼拝「アブラハムの執り成し」

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アブラハムの執り成し

日付
説教
望月信牧師
主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」
その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。アブラハムは進み出て言った。
「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」(20~25節)創世記 18章16節~33節

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 「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか」。主なる神は、愛するしもべに御自身の御心を明らかにされます。それは、「世界のすべての国民は彼によって祝福に入る」ことの実現のためです。アブラハムの選びは世界のすべての国民が祝福されることを目指しています。そのために、アブラハムはどのように主に仕えるのでしょうか。

 「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい」。ソドムとゴモラは、非常に繁栄しましたが、道徳的な腐敗もはなはだしく、繁栄の陰で虐げられて苦しむ者が大勢あったようです。主なる神は当然ご存じで、しかし忍耐しておられました。その忍耐が終わり、「わたしは降って行き」「見て確かめよう」とおっしゃいます。そうして主なる神が御覧になるならば、ソドムとゴモラは裁かれなければなりません。神の忍耐が取り去られるなら、ソドムとゴモラは滅ぼされるべき町々でした。

 アブラハムは、ソドムに住んでいた甥のロトを思い起こしたでしょう。ソドムは愛する者が生活する町である。こうしてアブラハムは、御使いたちがソドムに向かってなお主の御前にとどまります。まるで主の前に立ちふさがり、ソドムに進むことを妨げるかのようにして、執り成します。「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか」。神をとがめて詰問するかのような、大胆な言葉です。また、「もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません」と言って値切るような交渉をします。「四十五人の正しい者がいても」「四十人しかいないかも」と続け、最終的にアブラハムは「十人しかいないかも」と言います。

 はたしてアブラハムは、このような交渉をして神から勝利を勝ち取ることができると思ったのでしょうか。そもそも神の御前に本当に正しい者、真実に罪を犯さぬ者など、一人としているのでしょうか。正しい者と悪い者を一緒に滅ぼすことは正義ではないかもしれませんが、しかし、神の御前に自らの正しさを主張できる者などいるのでしょうか。そう考えるならば、この執り成しはそもそも無理なことなのではないでしょうか。

 しかし、たいへん驚くべきことに、主なる神はアブラハムの執り成しを受け入れてくださいます。いや、真実には決して驚くべきことではなく、ここに神の真実があるのではないか。むしろ主なる神は喜んでおられるのではないか。アブラハムが執り成して食い下がってくることを神は喜び、真実には喜んで譲歩しておられるのではないでしょうか。

 ソドムに神の憐れみを受ける理由があるのではありません。ソドムは滅ぼされるべきです。しかし、主なる神はアブラハムの執り成しを喜ばれ、受け入れられます。アブラハムには、滅びる者に対する愛と憐れみがあります。それは真実には主なる神の愛と憐れみと一つです。主なる神も、決してソドムを喜んで滅ぼそうというのではないからです。神は罪を憎んで滅ぼされるのであって、たとえ罪人であっても愛してくださるお方です。ですから、この後、ソドムは滅ぼされますが、アブラハムの執り成しによって、甥のロトと家族は助け出されることになります。

 私たちすべての者が罪人であり、神が正義を貫かれるだけなら、すべての者が滅ぼされるべきでしょう。けれども、主なる神は愛と憐れみの神であられます。そして、時満ちて来られた御子イエス・キリストが「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタイ9:13)とおっしゃって、十字架につけられてくださいました。ここに神の愛と憐れみがあらわされました。今や、この恵みを知る私たちが罪人を愛して執り成して祈ることを務めとする者とされているのです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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