日曜朝の礼拝「全能の神、契約の神」

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全能の神、契約の神

日付
説教
望月信牧師
アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。
「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」
アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。
「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。
わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。わたしは彼らの神となる。」(1~8節)創世記 17章1節~14節

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 主なる神がアブラハムをカナンへと導いて以来24年、アブラハムは神の御言葉、神の約束の実現を待ち望み、神を信頼して忍耐強く歩んでいました。主なる神に対して「アブラムはひれ伏した」(3節)とある通りです。しかし、もう一方で、神が「わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう」(16節)とおっしゃると、アブラハムはひれ伏しながらも笑って、「百歳の男に子どもが生まれるだろうか。九十歳のサラに子どもが産めるだろうか」(17節)とひそかに言いました。子どものことはもはや考えられないと思ってあきらめてしまう気持ちがあって、神への信頼、希望が揺らいでいたのだろうと思われます。

 神の約束を信じて待ち望む気持ちと、もはや難しいと思い、御言葉の実現をあきらめてしまう気持ちと、その二つが複雑に絡み合っている。アブラハムに限らず、信仰者は、しばしばこのような心の思いに悩まされます。神に期待しながら、いつの間にか期待することを忘れ、あきらめてしまう。私たちは、忍耐し続けることが難しい、弱い存在にほかなりません。アブラハムも、そのような悩める信仰者の一人なのです。

 しかし、ただ一人、あきらめることを知らない方がおられます。ただ一人、あきらめることなく、疲れることなく、アブラハムの神であろうとしてくださるお方がおられます。主なる神は「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、まったき者となりなさい。わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう」とおっしゃって、アブラハムと契約を結ばれます。これは15章とは違う、新しい契約ではありません。一つの契約が繰り返し示されます。私たちはあきらめやすい。ですから、繰り返し語られ示されることが必要です。

 「わたしは全能の神である」。神にできないことは何もないということを表す神の御名です。人間の知恵では不可能と思えることであっても、主なる神は、御自身の知恵により御自身の方法で成し遂げてくださいます。そして、「あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい」と言われて、「全き者」とは行いの立派さや倫理的な潔白さではありません。主に従って歩むことにおいて欠けがないということです。アブラハムには、全能の神に信頼し、徹底して依り頼むことが求められます。また、「もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい」と告げられて、新しい名前を通して、あらためて大きな国民の父となることが約束されました。主なる神は、繰り返し繰り返し約束を告げて、アブラハムを励ましておられます。これは主なる神の愛と憐れみにほかなりません。

 この契約において、アブラハムはまったく沈黙していて、神がただ一方的に「契約を結ぶ」と宣言しておられます。不平等だと思われるかもしれません。けれども、それゆえにこそ無条件なのです。一方的だからこそ、私たち人間に資格や功績を求めることなく、無条件に開かれている契約だと言えるのです。私たち自身は移ろいやすく、忘れやすく、あきらめやすい。それにもかかわらず、主なる神が私たちの前に立ち続けてくださる。実のところ、ここに全能の神、契約の神がおられます。

 私たちは神の約束を忘れ、忍耐して信頼することができず、人間的な方法に頼って失敗してしまいます。その罪を背負うために、主なる神は、ご自身の独り子さえ与えてくださいました。十字架の主イエス・キリストです。アブラハムに与えられた神の契約は、この主イエス・キリストを指し示していて、キリストによって担われて完成されるものでした。今、私たちは、主イエス・キリストに担われて、アブラハムに与えられた永遠の契約にあずかり、神の愛と憐れみに支えられています。聖霊に導かれ、全能の神、契約の神に依り頼む全き者とされて歩んで参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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