日曜朝の礼拝「信仰の父アブラハム」

日本キリスト改革派 鈴蘭台教会のホームページへ戻る

信仰の父アブラハム

日付
説教
望月信牧師
主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」
アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(5,6節)創世記 15章1節~30節

この説教要約には音声ファイルはありません

 主の言葉が幻の中でアブラハムに臨みました。「恐れるな、アブラムよ」。聖書で主なる神が「恐れるな、恐れてはならない」と繰り返し語りかけてくださる、その最初がこの箇所です。私たちが恐れに捕らえられやすいからでしょう。神は繰り返し私たちを励ましてくださいます。

 アブラハムが何を恐れていたのか。一つには14章に記されているカナンとその周辺の国々の王たちの戦争があったでしょう。アブラハムは、ロトとその家族を助け出すために参加して、勝利することができました。しかし、戦いは憎しみや恨みを生み出します。アブラハムは、敗れた王たちに報復されることを恐れていたと思われます。その点では、「わたしはあなたの盾である」、この言葉がアブラハムの励ましとなったでしょう。主なる神御自身がアブラハムを守る盾となり、保護してくださいます。

 アブラハムには、もう一つ、大きな恐れがありました。「あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」という言葉に答えて、アブラハムは「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません」と言いました。豊かな財産を与えられていましたから、アブラハムにとって報いが何かということが問題ではなかったでしょう。たとえ豊かに報いられたとしても、子どもが与えられないならば何になるだろうか。そこにアブラハムの恐れがありました。そして、これは子どもが与えられないかもしれないということだけではない。主なる神がかつて約束されたのです。「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める」。「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする」。しかし、年月がたっても子どもが与えられません。そのため、神の御言葉に対する恐れがアブラハムの内に湧き起こっていたのではないでしょうか。はたして神の約束は本当に実現するのか。神の御言葉に対する恐れと不安、失望感がアブラハムの心の中を吹き抜けていたのではないか。私たちも、神の御言葉をどこまで信頼できるのか、そんな思いを抱えながら、信仰者として歩んでいます。それが信仰者の現実です。そのアブラハムに、私たちに、主なる神は語りかけます。「恐れるな」。

 主なる神は、アブラハムを外に連れ出して語りかけます。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」。こうおっしゃって、彼自身の子どもが与えられると重ねて約束します。アブラハムとサラに子どもが与えられる。人間的には不可能と言うほかありません。人間の側にはもはや根拠はないのであり、希望もありません。けれども、神の側にはまだ希望があるということです。人間的にはありえない。しかし、神にはできないことは何もない。ですから、神の側に根拠を置きなさい、神の力、神の御業に期待して、ただ神に依り頼みなさい、神に祈り求めなさい、ということです。

 主なる神は、人間の側には何の根拠も持たない、ただ主なる神にのみ依り頼み、信頼する信仰を求めておられます。そして、聖書は「アブラハムは主を信じた」と続きます。奇跡と言うほかないアブラハムの応答です。もちろんアブラハムが信じたのですが、これは主が成し遂げてくださった、神の御業としての信仰です。信仰とは奇跡にほかなりません。そして、私たちが主イエス・キリストの十字架によって招かれている信仰も、同じ神の御業としての信仰であり、神が働いてくださって信じる者とされる、そう言うほかない、恵みとしての信仰です。主なる神は、そのような、ただ主に依り頼む、神に信頼する、その信仰を御自身の喜びとされ、誇りとされるお方です。私たちキリスト者も、この信仰の奇跡にあずかって、アブラハムの霊的な子孫とされています。私たちは、神の御業により、ただ恵みとして神を信じる者とされて歩みます。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

礼拝に来てみませんか?

鈴蘭台教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

ホームページからでしたらお問い合わせフォームを。お電話なら078-592-6875まで。お電話の場合、一言「ホームページを見たのですが」とお伝えくださると、話が伝わりやすくなります。