日曜朝の礼拝「アブラハムの神」

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アブラハムの神

日付
説教
望月信牧師
その地方に飢饉があった。アブラムは、その地方の飢饉がひどかったので、エジプトに下り、そこに滞在することにした。エジプトに入ろうとしたとき、妻サライに言った。「あなたが美しいのを、わたしはよく知っている。エジプト人があなたを見たら、『この女はあの男の妻だ』と言って、わたしを殺し、あなたを生かしておくにちがいない。どうか、わたしの妹だ、と言ってください。そうすれば、わたしはあなたのゆえに幸いになり、あなたのお陰で命も助かるだろう。」(10~13節)創世記 12章10節~20節

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 アブラハムに飢饉が襲いかかります。まだ畑を耕す生活をしておらず、飢饉の影響を真っ先に受ける状態だったアブラハムは、チグリス・ユーフラテス川の恵み豊かな故郷に考えることを考えたかもしれません。けれども、神に召し出されて異教の地を離れたのです。どうして帰ることができようか。アブラハムは信仰によって故郷に帰ることを踏みとどまり、エジプトに下ることを考えます。エジプトも、ナイル川の恵みによって飢饉の影響の少ない地域です。しかし、この箇所には神の言葉があったともアブラハムの祈りがあったとも書き記されていません。アブラハムは、飢饉という苦難に際して、神に助けを求めることなく、自分の考えを拠り所とし、ナイル川を拠り所としようとしたのだと言えるでしょう。

 こうして、アブラハムは神の助けに期待するのではなく、独断と自力で何とかしようといたします。その結果はすでに明らかです。彼は不安で仕方ありません。とりわけ妻のサラが美しいことが気にかかります。サラは必ずや人目を惹き、ファラオにも伝わるだろう、そうすると夫は邪魔者扱いされるかもしれない。神を見失うとき、人は不安に捕らえられて思いわずらってしまいます。アブラハムも、自らの不安に捕らえられて思いわずらい、美しい妹を持つ兄として振る舞うことにいたします。

 エジプトに着くと、サラの美しさは宮廷に伝えられ、サラは宮廷に召し入れられます。そして、アブラハムは「彼女のゆえに幸いを受け、羊の群れ、牛の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだなどを与えられた」(16節)。食べ物に飢えて外国から来た旅人が、美しい妹がいたために裕福な資産家になることができました。しかし、ここまでです。「ところが主は」(17節)。アブラハムは主なる神を見失っていました。しかし、主なる神は決してアブラハムを見失いません。アブラハムの行為はサラに大きな苦しみを負わせています。結婚という神の秩序を偽ることであり、アブラハムに与えられた神の祝福を裏切ることでもあります。「ところが主は」。いよいよ主なる神が御自身の御手を伸ばされます。主なる神が正しいお方であるならば、正しく罰が下されることでしょう。

 「ところが主は、アブラムの妻サライのことで、ファラオと宮廷の人々を恐ろしい病気にかからせた」。主なる神は、たいへん不思議なことに、ファラオとその宮廷を打たれます。ファラオは、恐ろしい病気はあの異邦人の妹に関係があると考えてアブラハムを呼び寄せ、真実を確認します。与えた財産を取り戻そうともせず、アブラハムとサラを立ち去らせます。アブラハムは、こうしてようやく気づいたでしょう。自分が何と愚かだったのか。アブラハムは、ファラオを通して自らの恥を悟らされました。神を離れて自分の知恵と力に頼ることの愚かさに気づかせられたのです。

 こうして、主なる神は「アブラハムの神」であられます。アブラハムが不誠実であっても、主なる神はアブラハムに誠実を尽くし、約束を堅く守られます。理解に苦しむことかもしれません。しかし、このまことに不思議な神が、今や主イエス・キリストによって私たちの神であられます。生けるまことの神は、不思議なことに罪人である私たちのために御自身の独り子さえ惜しむことなく十字架上で打たれるお方です。アブラハムが「信仰者の父」と呼ばれるのは、アブラハム自身の立派さゆえではありません。ただ愚かな罪人を救いに入れたもう神のゆえなのです。アブラハムが、自らの愚かさと恥を示され、主の恵みと憐れみによって自分の持ち場に遣わされたように、私たちも、自らの愚かさと恥とを抱えながら、主の恵みと憐れみに支えられて日々の働きに遣わされます。こうして、自らの力を頼りとするのではなく、主なる神に信頼する者として整えられるのです。主に期待し、主に依り頼んで、歩んで参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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