日曜朝の礼拝「小さなことに忠実に」

日本キリスト改革派 鈴蘭台教会のホームページへ戻る

小さなことに忠実に

日付
説教
望月信牧師
「そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」ルカによる福音書 16章9節~13節

この説教要約には音声ファイルはありません

 主イエスは、富の危険について語っておられます。「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(13節)とおっしゃるのは、神と富の両方に仕える誘惑に私たちが絶えずさらされているからでしょう。主イエスは警告しておられます。まことの神に仕えながら、富にも仕えることができる。そんなふうに富の力を見くびってはならない。富の力はたいへん大きく、人間に自らを第一とすることを求めるほどなのです。

 「不正にまみれた富」という言葉が何度か用いられています。不正な管理人が不正な仕方で得た富だから、不正にまみれた富です。そして、不正は戒められ、しりぞけられるべきです。しかし、不正にまみれることのない、正当な富というものなどが本質的にあるのでしょうか。たとえ正当な仕方で手に入れたものであっても、富には絶えずよこしまな思いがつきまとっているのではないか。この世においては正当な富であっても、神の御前にこれは正当なものだと言い張ることなどできないのではないか。用いることにおいても、たとえ正しく用いようとしても、そこに絶えず浪費ということがつきまといます。私たちは、正当で、けれどもまた自らの欲望を満たすためにも用いているのではないか。

 「不正にまみれた富」。主イエスは、この言葉で、富、財産に絶えず不正がつきまとうことを指摘して、私たちに賢くふるまうことを求めておられます。信仰者は、神に仕えるために富を捨てたと言って、富を軽んじがちかもしれません。そうであってはならない。信仰者は、富が誘惑の源であることを知って、いっそう賢く富と付き合うべきなのです。

 光の子として富に対して賢くふるまうことがここで求められています。これは、富を捨て去ることではなく、富から自由になること、富に対する自由を獲得することにほかなりません。その道がどこにあるのか。それが、「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」、すなわち、神に仕えることです。生けるまことの神に支配され、神に忠実に仕える。そのときに、富に対する真実の自由を獲得することができます。

 主イエスは、「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」(10節)とおっしゃいました。前後の文脈から、ごく小さなことが富を指し、大きなことが神に仕えることだと考えられます。富がごく小さなことだとは、小さいから軽んじてよいということではありません。ここでは、神に仕えることが大きなことだ言われます。生けるまことの神が私たちの主となってくださっている。その驚くべき、たいへん大きなことが与えられて、そのことを知ったならば、富が私たちの内に占める割合は小さくなるということでしょう。そうして、富から解放されて、富との関わりにおいても神に忠実に仕えるものとされます。主イエスに仕える道は、私たちが富から解き放たれる道でもあるのです。

 使徒パウロは、「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています」(フィリピ4:12)と語りました。ここに、富から自由にされた信仰者の姿が言い表されています。生けるまことの神は私たちを罪の中から救い出すために独り子さえ惜しまないお方です。パウロはそのことを知って満ち足りて、貧しいときにも不平不満を言うことなく、豊かなときには人と分かち合い、与える喜びを味わいながら生きることができました。そこに富から解き放たれた自由な生き方があります。私たちに与えられている富は、主なる神が私たちを養い、また分かち合うために与えてくださったものにほかなりません。与えられている富を用いて、私たちは与える幸いに生きることができます。それが信仰によって開かれている世界なのです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

礼拝に来てみませんか?

鈴蘭台教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

ホームページからでしたらお問い合わせフォームを。お電話なら078-592-6875まで。お電話の場合、一言「ホームページを見たのですが」とお伝えくださると、話が伝わりやすくなります。