日曜朝の礼拝「共に苦しみ共に喜ぶ」

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共に苦しみ共に喜ぶ

日付
説教
望月信牧師
目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。(21~26節)ローマの信徒への手紙 12章12節~26節

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 今年の年間標語を「共に苦しみ共に喜ぶ」といたしました。しばしば、苦しみは分かち合えば小さくなり、喜びは分かち合えば増し加わると言われます。それは真理であり、感染症の広がりの中で、この共に苦しみ共に喜ぶ姿勢が今こそ大切であると思います。互いの苦しみを思いやって共に苦しみ、執り成して祈り合い、また喜びを共にして励まし合う、そうして、この困難な時期を乗り越えていきたいと願うのです。

 ここでは、その「共に苦しみ共に喜ぶ」ことが聖霊の恵み、聖霊の賜物として示されています。もちろん一般的なこととしても、「苦しみは分かち合えば小さくなり、喜びは分かち合えば増し加わる」とは真理です。けれども、12章1節に「兄弟たち、霊的な賜物については、次のことはぜひ知っておいてほしい」とあり、ここで使徒パウロは霊的な賜物について教えています。聖霊によって「イエスは主である」と告白できる、聖霊によっていろいろな賜物が与えられる、13章では聖霊の賜物としての愛が教えられ、14章では預言するための賜物を熱心に求めなさいと言われます。聖霊によって信仰者に与えられる幸い、祝福としての「共に苦しみ共に喜ぶ」ことがあるのだと申し上げることができます。

 「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように」というたとえも、一般的なこととして理解できると同時に、聖霊によって与えられる恵み、聖霊の賜物にほかなりません。「キリストの場合も同様である」とあり、キリストの体である教会のことが考えられて、「それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。……神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました」(22~24節)と言われます。私たちは、弱い部分、見劣りがする部分、劣ったところを切り捨てる方向で考えやすいものです。けれども、その切り捨ててしまいがちなところこそかえって必要であり、大切にされるべきである。そうしてこそ一つの体なのだと教えられます。それは、私たちの体は、たとえば右足を痛めれば左足がそれをかばって、両方とも痛んでしまうということが起こるほどに、共に苦しみます。腰が痛めば肩も痛み、頭も痛む。けれども、肩や腰をもんでもらうと頭の痛みもやわらぐ。そのように、一つの部分が苦しめばすべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれればすべての部分が共に喜ぶ。それがキリストの体としての教会である。

 聖霊の賜物である。すなわち、主イエス・キリストに結ばれて、聖霊が私たちの内に住まうことによって、このことが実現しました。「つまり、一つの霊によって、わたしたちは、……皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊を飲ませてもらったのです」(13節)。私たちは、主イエス・キリストに結ばれて聖霊によって生かされ、一つのキリストの体とされました。そうして、キリストの体には必要がない部分は一つもない。一つの部分が苦しめばすべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれればすべての部分が共に喜ぶ。そこで思い起こすことは、主イエス・キリストの御苦しみです。かしらであるキリストがまず私たちに代わって苦しみを耐え忍んでくださいました、それゆえ私たちも互いのために苦しみます。そして、かしらであるキリストがよみがえられて神の栄光に入られた、それゆえ私たちも神の光栄に入れられることを互いに喜びます。

 キリストの苦しみを共に苦しみ、キリストの喜びを共に喜ぶ。そこに要があり、中心があります。そうして、私たちは信仰の仲間たちと一緒に共に苦しみ共に喜ぶ信仰の生涯を歩みます。また、まだ主イエス・キリストを知らない方々のためにも苦しみを共にして、執り成して祈りながら歩みます。この信仰の歩みを共に積み重ねて歩んで参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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