日曜朝の礼拝「つまずきを乗り越えて」

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つまずきを乗り越えて

日付
説教
望月信 牧師
それで、二人にこうお答えになった。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」(22、23節)ルカによる福音書 7章18節~35節

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 「つまずき」という言葉は、教会で信仰的な問題や人間関係の問題にぶつかったときに用いられます。つまずきの原因を取り除くことは、教会で生きる私たちにとって大切な課題の一つです。けれども、同時に、つまずきに負けない信仰を養い、つまずきを乗り越えることが大切です。

 「……十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが……」(コリント一1:23)。神の呪いのしるしである十字架につけられた人が神の子であるとはユダヤ人にとってつまずきでした。処刑された人を救い主と信じることは異邦人にとって愚かでした。死人の復活というようなことも、多くの人にとって愚かなことでしょう。その意味で、聖書が語ることの多くはつまずきの石となるものなのです。けれども、つまずくことがないようにそれらを造り変えたり取り除いたりしてよいでしょうか。十字架の死をなかったものにするならば、私たちの罪の贖いはありません。それはキリストの福音をむなしくしてしまうことにほかなりません。「わたしにつまずかない人は幸いである」とおっしゃった主イエスは、つまずきとなるものをすべて取り除いて平らにすることを考えておられたのではなく、つまずきを乗り越えて歩んでいくことを求めておられるのです。

 洗礼者ヨハネが考えていた来たるべきお方は、悔い改めて神に立ち返ることを求め、悔い改めない者を裁きの炎で焼き滅ぼして神の正義を打ち立てる、裁き主でした。それに対して、主イエスは病気や悪霊に苦しんでいる人々をいやし、見えない人の目を開く、愛と憐れみの御業を行っておられました。そこに食い違いがあり、ヨハネは主イエスにつまずきました。来たるべきお方が裁き主であるとは決して間違いではありません。けれども、それは来たるべきお方のすべてではありません。主イエスは、罪人を火で焼き尽くして裁くのではなく、罪を背負い、ご自分が十字架によって裁きの炎で焼かれることによって、罪そのものを裁いて滅ぼされました。裁きと愛を一つとして成し遂げることにより、救い主であられます。救い主メシアは愛と和解の福音を伝えるお方である。ヨハネはそのことを受け入れることによって新しくされなければなりませんでした。

 ヨハネの幸いは自分の疑問を主イエスにぶつけたことです。ヨハネはつまずいて、けれども主イエスの前にとどまり続けることによって、それを乗り越えました。ヨハネはこうして、旧約の最後の預言者であることから主イエスに導かれて歩む一人のキリスト者に変えられたのです。

 自分の考えに固執することの危険を心に留めましょう。偏見や先入観に捕らえられてはなりません。聖書から学び確信を持つことが大切である一方、柔軟さを失ってはならないのです。御言葉によって新しくされ、変えられることが起こる。それが生きた信仰だからです。信仰は信念ではありません。御言葉の前にへりくだる、心開かれた姿勢が大切です。

 教会やキリスト者についても同じであり、「こうあるべき」という思い込みがつまずきの原因になります。教会や人につまずくときに、相手だけでなく自分にも原因があることを心に留めましょう。あるべき姿を追い求める一方で、それを理想化して互いを裁くのではありません。私たちは救われてなお罪人であり、失敗することがあり、感情の行き違いも起こります。そのところで、それらを乗り越えてキリストに結ばれて一つであると証ししてこそキリストの体なる教会なのです。キリストが十字架につけられるまでへりくだられたことに神の知恵があります。私たちの心を開いてくださる聖霊の御業を祈り求めて、共に歩んで参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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