鈴蘭台教会のメッセージ

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日本キリスト改革派 鈴蘭台教会の礼拝堂

2021年度の説教要約 (新しい順)

の日曜礼拝で語られた説教の要約を公開しています。

信仰者の友アビメレク

創世記 20章1節~18節

 ゲラル滞在の出来事はエジプト滞在の出来事(12:10-20)と似ています。しかし、ゲラルは広い意味ではカナンの一部であり、アブラハムがカナンを離れたわけではありません。10節に「この土地には、神を畏れることが…

ソドムの滅亡

創世記 19章1節~29節

 主なる神は義なる神であり、罪を憎み、悪を罰するお方です。しかし、それだけではありません。不品行にまみれたソドムを滅ぼす神の御業にも、神の愛と憐れみが表れています。アブラハムの甥ロトは、ソドムで、信…

アブラハムの執り成し

創世記 18章16節~33節

 「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか」。主なる神は、愛するしもべに御自身の御心を明らかにされます。それは、「世界のすべての国民は彼によって祝福に入る」ことの実現のためです…

サラの信仰

創世記 18章1節~15節

 主なる神は、アブラハムの神であるだけでなく、アブラハムの妻サラの神でもあられます。人は誰もが神の御前に立ち、神の御声を聞き、神に応えて生きる存在です。アブラハムに神の約束を信じる信仰が求められるよ…

全能の神、契約の神

創世記 17章1節~14節

 主なる神がアブラハムをカナンへと導いて以来24年、アブラハムは神の御言葉、神の約束の実現を待ち望み、神を信頼して忍耐強く歩んでいました。主なる神に対して「アブラムはひれ伏した」(3節)とある通りです。…

信仰の父アブラハム

創世記 15章1節~30節

 主の言葉が幻の中でアブラハムに臨みました。「恐れるな、アブラムよ」。聖書で主なる神が「恐れるな、恐れてはならない」と繰り返し語りかけてくださる、その最初がこの箇所です。私たちが恐れに捕らえられやす…

目を上げて、見渡すがよい

創世記 13章1節~18節

 アブラハムは、彼自身の大きな失敗にもかかわらず、主なる神の憐れみのゆえに豊かな財産を携えてカナンの地に帰って来ました。それは、ただカナンという場所に帰って来ただけでなく、「彼が最初に祭壇を築いて、…

アブラハムの神

創世記 12章10節~20節

 アブラハムに飢饉が襲いかかります。まだ畑を耕す生活をしておらず、飢饉の影響を真っ先に受ける状態だったアブラハムは、チグリス・ユーフラテス川の恵み豊かな故郷に考えることを考えたかもしれません。けれど…

信仰による冒険

創世記 12章1節~9節

 創世記10、11章の系図は、天地創造と人の創造、人の罪と堕落についての総まとめのような記事です。神に応答する存在として造られた人間は、神から離れ、罪と堕落の中に陥りました。けれども、一つには、「生めよ…

その名はラザロ

ルカによる福音書 16章19節~26節

 金持ちと貧しい人ラザロが登場します。金持ちは高価な衣を着て、ぜいたくな生活をしています。ファリサイ派の中には成功して金持ちになり、国会議員になる人もいましたから、主イエスはおそらくファリサイ派の成…

神は心をご存じである

ルカによる福音書 16章14節~18節

 ファリサイ派とは神の御言葉である律法を熱心に学び、神に従って生きようとしていた人たちだと、私たちは思っていますから、「金に執着する」という言葉に驚くかもしれません。しかし、彼らは「神と富とに仕える…

小さなことに忠実に

ルカによる福音書 16章9節~13節

 主イエスは、富の危険について語っておられます。「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(13節)とおっしゃるのは、神と富の両方に仕える誘惑に私たちが絶えずさらされているからでしょう。主イエス…

忠実に生きる

ルカによる福音書 16章1節~9節

 「ある金持ちに一人の管理人がいた」と言って始まるたとえです。その管理人は、主人の財産を無駄遣いしたことが主人に知られて、仕事を取り上げられようとしています。彼は、これからの生活のために、恩義を感じ…

もう一人の放蕩息子

ルカによる福音書 15章25節~32節

 放蕩息子のたとえは兄弟の物語です。兄は父親と一緒に働きながら生活していました。たいへん模範的な息子、孝行息子に思われます。しかし、兄は「わたしは何年もお父さんに仕えています」と言いました。この「仕…

放蕩息子の帰還

ルカによる福音書 15章11節~24節

 主イエスは、このたとえを通して父なる神から離れて遠い国に向かってしまっている私たち人間の姿を示しておられます。父親がまだ生きているのに遺産を求める、それは財産さえあれば父親などいなくてよいというこ…

一緒に喜んでください

ルカによる福音書 15章8節~10節

 ドラクメ銀貨を十枚持っている女がその一枚を無くしたとすれば、「見つかるまで念を入れて捜さないだろうか」、捜し回るに決まっているではないか、というたとえです。ギリシアのドラクメ銀貨はローマのデナリオ…

大きな喜びが天にある

ルカによる福音書 15章1節~7節

 新共同訳聖書の小見出しには「見失った羊」とありますが、このたとえで注目すべきは羊飼いの姿です。羊飼いの姿を通して、失われた者を熱心に追い求めて、見つけたときには大喜びする、生けるまことの神の姿が示…

主イエスは生きておられる

使徒言行録 1章3節~11節

 ルカは、主イエス・キリストの昇天の出来事をルカ福音書の末尾だけでなく、使徒言行録の冒頭にも書き記しました。それは、昇天の出来事がキリスト教信仰において決定的な意味を持つからです。主イエスの復活は、…

地の塩として

ルカによる福音書 14章34節~35節

 マタイ福音書の「あなたがたは地の塩である」(マタイ5:13)がよく知られています。それに続く言葉が今日のルカ福音書の御言葉とほぼ同じです。マタイでは「あなたがたは世の光である」という御言葉とワンセット…

賢く生きる

ルカによる福音書 14章25節~33節

 26節、27節、そして33節で、「わたしの弟子ではありえない」と繰り返されています。「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」。たいへん…

まだ席があります

ルカによる福音書 14章15節~24節

 「神の国の食卓に着くことはなんと幸いなことであろうか」。神の国はしばしば食事の席、とりわけ結婚の宴にたとえられます。結婚の宴とは花婿と花嫁が一つにされて共に歩み始めることを喜ぶときです。神の国にお…

安息日の幸い

ルカによる福音書 14章1節~14節

 ある安息日に、主イエスは食事のためにファリサイ派の議員の家に入られました。おそらく主イエスが会堂礼拝で説教をして、その後、食事に招待されたのでしょう。そこに水腫を患っている人が同席していました。フ…

狭い戸口から入れ

ルカによる福音書 13章22節~30節

 十字架のエルサレムを目指して歩んでおられる主イエスに、ある人が「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と問いかけました。それに対して、主イエスは「狭い戸口から入るように努めなさい」とおっしゃって、…

復活なさったのだ

ルカによる福音書 24章1節~12節

 主イエスが十字架につけられて三日目の朝、すなわち日曜日の朝のこと、主イエスの弟子であった何人かの女性たちがお墓に行くと、主イエスのお体が見当たりません。途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人が現…

十字架の王

ルカによる福音書 23章32節~43節

 主イエスは、人々にあざけられ、ののしられて、十字架につけられました。ユダヤ人の王と自称しているという理由で訴えられていましたので、ローマ兵は主イエスに紫色の衣を着せ、茨で編んだ冠をかぶらせて、主イ…

からし種と神の国

ルカによる福音書 13章18節~21節

 からし種は大きさが1ミリもない、たいへん小さな種です。その小さな種が庭に蒔かれると成長して木になり、空の鳥が巣を作るほどの枝を張るようになる。パン種とはパンを膨らませるために加えるイースト菌のことで…

今こそ解放の時

ルカによる福音書 13章10節~17節

 腰が曲がったまま伸ばすことができない一人の女性が会堂礼拝に出席していました。「十八年も病の霊に取りつかれている」と記されています。これは病の背後に何か霊的な問題、罪の問題があったと考えられていたこ…

待ち続ける神

ルカによる福音書 13章1節~9節

 主イエスと弟子たちが話をしていたとき、一つのニュースがもたらされました。総督ピラトがガリラヤ人の血を流して、しかも神殿でささげられる犠牲のいけにえの血に混ぜたと言われます。推測では、ピラトが工事の…

今の時を見分ける

ルカによる福音書 12章54節~59節

 きれいな夕焼けを見て、翌朝はよく晴れると予想することがあるでしょう。主イエスは、あなたがたは空が移り変わり、雲が移り変わって、天候が変化することをきちんと見抜くことができるではないか、それなのに「…

その火が既に燃えていたら

ルカによる福音書 12章49節~53節

 たいへん読みにくい箇所です。「地上に火を投ずる」「むしろ分裂だ」というような主イエスの言葉に出会うと、私たちは戸惑ってしまいます。 「地上に火を投ずるため」に主イエスは来られた。それはわざわざ来ら…

賢い管理人として生きる

ルカによる福音書 12章41節~48節

 主イエスの弟子とされて、神の御前に私たちはみな等しい存在です。同じ一人のキリスト者であり、決して誰かが偉いとか偉くないとかではありません。けれども、人が集まる集団、組織には秩序が必要です。それゆえ…

ともし火をともして歩もう

ルカによる福音書 12章35節~40節

 「腰に帯を締めて、ともし火をともして」いるとは、旅支度をして備えているということです。かつて主なる神が「腰帯を締め」て主の過ぎ越しとエジプトへの出発のために備えるようお命じになったように(出エジプ…

共に苦しみ共に喜ぶ

ローマの信徒への手紙 12章12節~26節

 今年の年間標語を「共に苦しみ共に喜ぶ」といたしました。しばしば、苦しみは分かち合えば小さくなり、喜びは分かち合えば増し加わると言われます。それは真理であり、感染症の広がりの中で、この共に苦しみ共に…

小さな群れよ、恐れるな

ルカによる福音書 12章22節~34節

 「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」。これはルカ福音書だけに書き留められている御言葉です。おそらくルカは使徒パウロと一緒に伝道旅行をする中で、この主イエスの言葉が大切…